数象徴

midoka12013-01-27

   『数覚とは何か』の書評がtwitterで流れてきたので、面白そうだとおもって図書館で借り出してきた。P112の世界中の数表記の一覧が面白かったが、解説は理系の一方的な解説で終わっている。人間が「1.2.3」をよく識別できるということは間違っていないと思うが、それは数の問題ではなく「私、目の前の手の触れる範囲にいる者、その外者」を弁別して行動し、理念や道理もそれに従って考察してきたからだ。
    通俗英文法で、「英語では我々などと簡単には発言しない」という説明を見かけるが、すべては文脈によって決まる。集団を代表して、集団内に向かうときとは「we」を使うに決まっている。日本では集団の長でも、そのような集団内部にむけてはそういう物言いをしないが、集団の外で一人で相手と対峙するときにはいとも簡単に「われわれ」をつかう。そうすると相手の外人はその人のことを権限を持つ人と誤解する。当面は歓待のランクがあがる。後でそれが外国人の失望に変わるのは容易に推察できる。というより権限もない人がぞろぞろ海外出張にでかけるというのが、ありえない。これは「権限委譲」という文化が育っていないからであろう。
   「唐傘連判」という優れものや「ルビ」と言う優れものを取り上げて「JAPAN COOL」なんてお祭りやっている場合じゃないのよ。それらをどう革新していくかが大事。
    そのためには日本語と英語の違いではなく共通性、つまり自然科学が対象とする本質を考えることが重要で、そのツールの一つが数象徴。
    修学院離宮におかれた「ひふみ石」は合計6個の石から構成されているが、このような数象徴の問題も人間科学としてはおろそかに出来ない。というより文化としての数を考えるときには重要になる。
    確かにこの一覧表を眺めていると、数4の処理法から文化的特長が明瞭になっている。そこからは「1,2,3」のいずれかを「全数」と捉えるかの哲学的認識の問題が浮かび上がってくるはずだ。
  「一切即全」に近いのは「マヤ文字
  「天地合一」を象徴するのは「古代インド文字」

そらにすすむと、5本指、両手を一まとまりにするようになり「十全」が導入されると、「5は片割れ」となる。
  楔型、エトルリア、ローマはその時代に確立した形式であろう。
   中国語の漢字が特徴的なのは「□」を4の段階で導入していることだ。これは形について「閉開」の弁別を導入したことを顕す。そして「四、六、八」を導いていく。
  ただし、アラビア数字はいろいろなメタファを想起させる
●5=2+3;日本人ならば陰陽を想起する
●5⇔己の鏡像回転
●5⇔手書きの5を回転させた形


最後にマヤ文字から漢字までを一覧すると数の階層性を簡潔に表せる。そうすると漢字の「卌冊册」が古層には「ローマ字表記」に近いものがあったのではないかという仮構を導く。

マヤ     ・・   ・・・   ・・・・  
漢字           X
ギリシャ   I   II   III   IIII   V
漢字古層A         㣺灬爪卅   冊册


2013.2.16追記
昨日放送大学で盲学校の資料館の話をやっていて、点字は6点、つまりサイコロの形が基本だと言ったので、思い出したが、2の6乗は64になり、これで50音図もなんとか点字化できたわけである。