2010-06-01から1ヶ月間の記事一覧

「世にふるも さらに宗祇の やどり哉」

思いたって、『芭蕉文集;昭和30年発行』を繰っていったら上記の句にであった。 12世紀末の女流歌人・二条院讃岐の「世にふるは苦しきものを槙の屋にやすくも過ぐる初時雨かな」は、宗祇・芭蕉と受け継がれた、と歌学で措定されてきているわけだが、近世の二…

直弧文鏡; 奈良県新山 古墳出土

「風神雷神」の図像を探していって、上記図像にであった。1963年発行の講談社 世界美術体系11巻に収められたこの図像をみて初めて心の底から日本人の祖先のすばらしさを実感した。 火炎土器や女神に擬せられる土偶などは男性にとってはすばらしいかもしれな…

風神雷神屏風図; 俵屋宗達

wikipediaによれば「宗達の真筆であることは疑われていない。17世紀前半寛政期、宗達最晩年の作とする説が有力だが、法橋印が無いことや、おおらかな線質が養源院の杉戸絵と共通することから元和末期(1624年)頃の作とする説もある。現在では極めて有名な絵…

「とんでもございません」

ビデオの整理をしていたら、NHKで上記の発声について取り上げていた。語源として近松の書物にみられる「ない・と・でも」の語句と関連付けられていた。そこからを語末の離れたところに移動したのが数十年前の識者の逆鱗にふれて、現在でも高級ホテルでは「と…

逆語序対〈太郎者、行くもの〉・〈行くもの、太郎者〉

さて、学校文法で扱う文末対〈です・ます〉が、深層に役割対〈判断者・報告者〉を従えていることが明確に意識に上ってくると、日本語における語末体が聞き手を含意していることが意識化できてくる。そうすると、新旧情報の標識としての〈は・が〉についても…

ミセ屋・メシ屋・洋食屋・ファミレス・居酒屋

先日、NHKでは、ファミレスで、料理を持ってくるときに例えば「こちら、ハンバーグになります」という接客マニュアルが適当か否かという話題が取り上げられていた。 肯定例として駅員が客に発着駅を聞かれて「10番線ホームになります」というのはよろしい…

北辰妙見菩薩像

『星と東方美術;野尻抱影』をめくっったら、初っ端に『十巻抄』の中の妙見菩薩像が右手に持つという北斗七星が出てきたのだけど、その描図が学校でならったのと違っていた。斗丙の中点が升と結ばれているので、エビのしっぽみたいに見えるのである。著者は…

2014/10/22追記

太白三章 高青邱(明) 「太白初めて升ぼって、北斗落ち」のような対句を柱とする漢詩文 ということは「太白=五卯星」ということだが、著者もコメントなしで掲載している p320 11月1日 ============−−

九曜と五曜

『星三百六十五夜;野尻抱影』をめくっていたら、上の表題のページがあって、いろいろおもしろかった。「10月5日の項」 1、九曜の星は七曜の「日月火水木金土」に実在しない〈羅喉星〉と〈計都星〉を加えたものをさす。とあるが実在しない星と言っても、…

ラマ教・ボン教

『図説チベット歴史紀行;石濱裕美子』という本をめくっていたら、チベット仏教のラマ教より古いボン教のことが出ていた。興味深かったのは聖地カイラス山の巡り方が逆だということ。ボン教は左回りで、ラマ教は右回り。 そもそもカイラス山というのもとても…