2010-01-01から1年間の記事一覧

あめつち・天地初発

二稿アップしました。『もう一つのいろは;あめつち』 http://homepage2.nifty.com/midoka/papers/JSKR10.pdf『天地初発』 http://homepage2.nifty.com/midoka/papers/shohatu.pdf 来年もよい年をでありますように。

NHKの夜郎自大非文 ; 〜〜がかけつけてくれました

ビデオでドンキホーテの映像詩をつkるドキュメントを見ていたら、演奏会に映像詩の総監督が来場したことを以下のようにナレーションで流していた。 ●***監督もかけつけてくれました。 だが、演奏会の日程は1年前には決まっていたのだし、ヨーロッパから…

逆語序対

NHKで横浜言葉として知られてきた「〜じゃん」について薀蓄を披露している人がいた。ずいぶんとお金と時間をかけて調査をしてきたらしい。だが現在社会言語学といわれる、このような研究には公的資金を投入するほどの価値があるのだろうか。明治時代にフォッ…

きれる・きれちゃった

松本修の新刊をくっていたら、「キレる」が放送禁止用語になった「きちがい」の代替として出てきたという仮構が出てきてうなった。さらにを対語にした語源薀蓄と続いていて、メディア現場の〈報告文書〉としては面白かった。内臓関連語句のオンパレードだ。…

北斗八星

古い芸術新潮の2006年9月号を見ていたら、キトラ古墳のことが出ていて、有名な星図の写真があった。よくみたら学校で習った七星ではなく八つ星だった。 p39からの宮島一彦氏の解説にもコメントはない。 「北辰妙見菩薩像http://d.hatena.ne.jp/midoka1/20…

接遇表現;〜させていただきます

テレビからしょっちゅう流れてくる上記表現にうんざりしながらも、どうしてこういうことになったのか見当がつかないので我慢してきた。ようやくヒントが見えてきた。 これは依頼応諾文脈で分析することだ。そのためには、少なくとも日本語では二つの型を抽出…

父、竹田政民の遺したもの

父が逝って一年がたつ。娘のひいき目から見るなら、よく働いた父だったが、世間の評価は低い。それはニンジンを目の前にぶら下げられての仕事をしなかったからだった。そして他人にも、そういうことを要求しない人だった。私の進路についても、「自分で苦労…

接遇表現;花に水をやる vs  花に水をあげる

日本語教育の勉強を始めると上記の文例でまずいやな感じをもつ。説明として「あげる」の方が丁寧だからという接遇問題としてしか捉えられていないからだ。そして日本語は非論理的であるのみならず、非論理的であることこそが日本語の美質だという、これまた…

「私はうなぎ」 vs 「私は学生」

「日本語の論理」という本が少なくとも三冊は上梓されていることを知って、あきれながらも一応三つのぞき始めた。最初の一冊は例の「ハは旧情報・ガは新情報」という分類がいけないという主張の本で、あきれながらも例文を眺めていたら以下のように変形出来…

白砂青松

以前には逆語序対をもたないと、書いてからも気になっていたと見えて「白砂青松」という語が浮かんできた。もちろんという対語もという逆語序も存在しないわけだが・・・・・。 一応整理しておくと 向かって左 白 雷神 紅梅 白砂 向かって右 青黒 風神 白梅 …

「世にふるも さらに宗祇の やどり哉」

思いたって、『芭蕉文集;昭和30年発行』を繰っていったら上記の句にであった。 12世紀末の女流歌人・二条院讃岐の「世にふるは苦しきものを槙の屋にやすくも過ぐる初時雨かな」は、宗祇・芭蕉と受け継がれた、と歌学で措定されてきているわけだが、近世の二…

直弧文鏡; 奈良県新山 古墳出土

「風神雷神」の図像を探していって、上記図像にであった。1963年発行の講談社 世界美術体系11巻に収められたこの図像をみて初めて心の底から日本人の祖先のすばらしさを実感した。 火炎土器や女神に擬せられる土偶などは男性にとってはすばらしいかもしれな…

風神雷神屏風図; 俵屋宗達

wikipediaによれば「宗達の真筆であることは疑われていない。17世紀前半寛政期、宗達最晩年の作とする説が有力だが、法橋印が無いことや、おおらかな線質が養源院の杉戸絵と共通することから元和末期(1624年)頃の作とする説もある。現在では極めて有名な絵…

「とんでもございません」

ビデオの整理をしていたら、NHKで上記の発声について取り上げていた。語源として近松の書物にみられる「ない・と・でも」の語句と関連付けられていた。そこからを語末の離れたところに移動したのが数十年前の識者の逆鱗にふれて、現在でも高級ホテルでは「と…

逆語序対〈太郎者、行くもの〉・〈行くもの、太郎者〉

さて、学校文法で扱う文末対〈です・ます〉が、深層に役割対〈判断者・報告者〉を従えていることが明確に意識に上ってくると、日本語における語末体が聞き手を含意していることが意識化できてくる。そうすると、新旧情報の標識としての〈は・が〉についても…

ミセ屋・メシ屋・洋食屋・ファミレス・居酒屋

先日、NHKでは、ファミレスで、料理を持ってくるときに例えば「こちら、ハンバーグになります」という接客マニュアルが適当か否かという話題が取り上げられていた。 肯定例として駅員が客に発着駅を聞かれて「10番線ホームになります」というのはよろしい…

北辰妙見菩薩像

『星と東方美術;野尻抱影』をめくっったら、初っ端に『十巻抄』の中の妙見菩薩像が右手に持つという北斗七星が出てきたのだけど、その描図が学校でならったのと違っていた。斗丙の中点が升と結ばれているので、エビのしっぽみたいに見えるのである。著者は…

2014/10/22追記

太白三章 高青邱(明) 「太白初めて升ぼって、北斗落ち」のような対句を柱とする漢詩文 ということは「太白=五卯星」ということだが、著者もコメントなしで掲載している p320 11月1日 ============−−

九曜と五曜

『星三百六十五夜;野尻抱影』をめくっていたら、上の表題のページがあって、いろいろおもしろかった。「10月5日の項」 1、九曜の星は七曜の「日月火水木金土」に実在しない〈羅喉星〉と〈計都星〉を加えたものをさす。とあるが実在しない星と言っても、…

ラマ教・ボン教

『図説チベット歴史紀行;石濱裕美子』という本をめくっていたら、チベット仏教のラマ教より古いボン教のことが出ていた。興味深かったのは聖地カイラス山の巡り方が逆だということ。ボン教は左回りで、ラマ教は右回り。 そもそもカイラス山というのもとても…

大ジョッキ・大ビン

酒席に縁がなかったので、フツーの人がすぐに思いつく大ビンに考えがいたるのに時間がかかってしまった。 だが、こちらは〈ビン・瓶〉であるから江戸時代以前から続く由緒正しい以下の語法が適用できる。 逆語序対〈大瓶・瓶大〉 とはいっても、現代風俗から…

「大ジョッキ」考

先日NHKでは、上の語句をどう読むかということで関西では〈だいじょっき〉、関東では〈おおじょっき〉と読む人が多いと言っていた。さらに考察として今後は関西風のよみが増えるだろうと言っていた。 だが、金をかけた定量調査結果の考察としてはちょっと物…

ピタゴラスと黄金比

西欧の古代史をひも解くとしばしば、黄金比という言葉がよく出てくる。説明を探していくと、たいていは現代数学との関連付けがてんこ盛りなので、気がめいる。いわく、フィボナッチ数列、葉序のパターン、リュカの数列などである。 だが、『黄金比;スコット…

数765と数543

数432について、暗号派のコボルスキー氏は暦との関係しかふれていなかったわけだが、これは3の三乗の27の倍数である。つまり一般的に数は大きく序と量にかかわるのだが、これは量数にも関係づけることができる。これは54の倍数でもある。 432=2…

数432と60進法

書棚の整理を始めて、『失われた文明;A.コボルスキー』を手にとった。中山一郎氏の訳になる。いわゆるアトランティス関係の書ということになる。著者はモスクワのインド考古学の研究者だという。 その中に「隠された知識」という項がある。著者の立場は隠…

 でこぼこどうげん 

日本語でも英語でも、そしてたぶんどこの言語でも見られるのが富貴卑賤を象徴する語彙は同源という現象である。だが、こういう現象は金持ちと貧乏人や社会階層の上下などの人々も元をたどれば氏・出生が同じということを含意しやすいので規範言語では封印さ…

トーキー

これは無声映画のあとに開発された音声付きの映画のことではない。イギリスの南西部にある由緒あるリゾート地の名前である。 『アガサ・クリスティを訪ねる旅;大修館』によれば「トーキー」は「tor 尖った岩山」「quay 波止場や海岸」に分解できるという。…

カステル・デラ・モンテ

2月の再放送でNHKから流れてきたのだけど、世界遺産シリーズを別の角度から「王たちの物語;城」として作られたようである。この城は1248年に完成したといわれているが、その王の物語はまさ一聞の価値があった。それは神曲の作者ダンテが最近までイタリ…

ルーブル美術館におかれたガラスのピラミッド

4月に放送大学を流していたら、ルーブル美術館に最近突然おかれたガラスのピラミッドの下にはフィリップ二世(1165 - 1223)の築城した城郭があったということだった。チラッとみえた図面によると四隅に大きめの塔がすえられ、四つの壁には小さめの双塔が配…