元明天皇は藤原不比等の傀儡だったのか?

  国土交通省のホームページに東京一極集中を排して国土の多極化を進めようという趣旨の論文が掲載されている。
http://www.mlit.go.jp/kokudokeikaku/iten/service/newsletter/i_02_70_1.html
主張についてコメントするつもりはないが、論運には困ったことが挿入されている。
  というのは国際日本文化研究センター名誉教授  千田稔氏の文章に平安京の全盛時代を築いた藤原氏の祖先の藤原不比等を一方的に持ち上げている部分があるからである。
引用しよう

「そのための、藤原氏の大舞台、つまり首皇子天皇としてデビューを飾るべき場として、奈良盆地の北の端に新しい都・平城京を作ることが決意されたのである。
藤原京三代目の元明女帝は、平城京への遷都に反対であった。その理由はいうまでもなく、藤原京天武天皇がうちだしたプロジェクトの都である。つまり「天皇の都」である。
それに対して、平城京藤原氏という官僚がおのれの氏族の力を誇示する都である。はっきりといって「藤原氏の都」である。元明女帝は気がのらないまま、和銅3年(710年)に遷都に従わざるをえなかったのである」
引用おわり



    このブログでは既に、国際日本文化研究センター名誉教授の論文についてコメントしてきている、思い出しおこう

■;『蛇と十字架』
      http://d.hatena.ne.jp/midoka1/20060625
     ここでは、安田 喜憲氏の著作を取り上げた。そこでも書いたが本文の大要は黄河文明いっぽんやりの中国文明理解のありようへの対抗として揚子江文明を取り上げたもので、主張にコメントする理由はない。がやはり挿入句に自虐史観が丸見え。引用しておこう。

  「キリスト教を背景とした近代ヨーロッパの圧倒的な物質文明の前に、日本の伝統的な動物観は崩壊を始めた。それをいやがうえにも加速化し、決定的にしたのは高度成長文明である。それは里山の荒廃と軌を一にしていた」

   これは私の若い頃、中村真一郎氏らが「デカルトの要素還元主義が西欧を堕落させ、これに影響された日本近代も堕落した、という自虐史観と悪いのは東アジアに侵攻してきた西欧の所為」という子供じみた文明史観の継承。
    現在は研究者の若返りも進んでいるとは思うが、こういう先人のメガネにかなった若い人が、過去の過ちを反省するどころか西欧が悪いという野郎事大史観とその反動としての自虐史観、さらにはもっとおぞましい女性蔑視史観にまみれていないかよくよく注意していきたい。
   すくなくとも国交省のホームページで公言するようなことはやめてほしい。