「古事記」以前の日本語;工藤隆

 かねがね、気になっていたのだが、今日、手がかりが一つ見つかった。「出版ダイジェスト2022号」で大東文化大学の工藤隆教授の「雲南省ペー族歌垣と日本古代文学」の発刊予告を見たのだ。
 「古事記」を、それ以前の無文字社会(11,000年以上につながる縄文・弥生期)を視野に入れてとらえなおすと、その世界を律令国家への継承を目的に書かれ、伝承されてきた現在知られている、すなわち学校で習った「古事記」とは全く異なる世界が立ち現れてくると教授はいう。
 教授の方法は歌垣がまだ、生活に中に息づいている中国少数民族の歌の収集をもとにしている。「生の歌垣」と「古事記」や「万葉集」との最大の違いは、散文と韻文が分かれていないで、むしろ韻文主体であることだという。
 考えてみれば当たり前で、記憶による伝承では韻文の方が断然有利である。それを散文として切り取った現在の「古事記」では何が抜け落ちてしまったのか?興味深いことである!