『ものさし』

p4 「面積や体積の単位を尺度から導いて、いわゆる単位系とし、制度を建てることは紀元前も三千年もさかのぼる古いことらしい。そればかりでなく、一定体積の水の質量を質量の標準にすることさえ、当時はじまっているらしい。この制度を作ったのはスメル人であった。かれらはこの各種単位と数および貨幣をあわせて60進法で構成した。」

 せっかくの記述であるが、この後著者は一貫して日本の度量衡を中国からの移入の歴史としてしか記述していかない。だがBC30世紀といえば鳥浜貝塚から弁柄漆で彩色された櫛と並んで緑豆や瓢箪の痕跡が採取されている。ということは当時の日本はアフリカと物のつながりがあったということだ。当然物だけでなく「文物:アヤとマナ」の交流があったはずだ。
 文字以前の画期的発明「文物」が度量衡でないと何故考えるのだろうか。文字にしろ音韻にしろ、その土台に数概念があるはずだし、その体系は度量衡として現実の社会関係を通して社会全般に共有化されていったという歴史を想定することはそれほど突飛ではないはずだ。
 これは個体発生をみてもいえることで、文字を受容できるということは、それ以前に数概念と、カテゴリー概念が育っていなければならない。だからこそ公教育としての識字教育は5,6歳まで待たなければならないのだ。この個体発生上のルールから系統発生の一部である古代史のルールを前提することは愚かでもないし独善でもないはずだ。逆に文字の始まりが文明の始まりだという先入観がある限り古代史の現代的意味は見えてこない。

 とはいえ、ここに冒頭の引用をしたのは、さらにその中にある句「一定体積の水の質量を質量の標準にすることさえ」の部分が戦後の計量行政の混乱を象徴しているからだ。ここは日本語として正確に書くならば以下のようになるべきだ。


☆一定体積の水の「重さ量」を「物の量」の標準にすることさえ
物理学の専門用語massの翻訳語が「質量」なのであるが、一部の理科教育関係者が関連する概念をすべて用語「質量」と統一して記述すること、とりわけ「重」の字を使わないことを要求し続けてきていた。その人たちに配慮すれば引用した見出しの表現にならざるを得ないのだが、それでは日本語として意味が通じない。 著者は1918年生で計量研究所出身。