ジャパシネ「死国」

 数日前にBSでやっていた古い映画だが、ネタが面白かった。「死国→四国→88箇所巡礼→右回り→左回り→よこしま→死者のヨミガエリ→禁忌破り」。つまり、逆順=悪、ということである。とすれば江戸期に盛んになった趣味としての回文も歴史的にはむしろ「呪い」であった可能性が出てくる。たとえば「能登殿」という人を呪うために「かな」で「のととの」と書いて神棚に載せておいて、詠む時に、イメージを下から上へ詠みあげていけば「のろい」になる。他人が見ても「のととの」のために祈念しているとしか思わないであろう。
 これってあまりに恐ろしくて、あるいは馬鹿馬鹿しくて一笑に付されそうだが、でもだからこそ柿本人麻呂は「言霊の幸わう国」と強調さざるを得なかったのではないだろうか。なぜなら「盗んではいけない」という規範が強調される社会とは、それゆえ「盗みが無いすばらしい社会である」可能性よりは「盗みが横行する社会」である可能性が高いからだ。だから知識人は「漢字」に飛びついて、そこに救いを求めたのかも。
 私自身が「言葉の線状性」という言語学の第一原則が、実は「言葉の煽情性」と一体不離であることを知ったのは、水村美苗の小説『私小説』の中の英語のphraseからだったけど、このことは洋の東西を問わず歴史上の秘儀だったのかもしれない。もちろん現在の朝日新聞の幹部も知らない。だからあんなノーテンキなキャンペーンをテレビで流せるのだ。