『枡(ます)』

 あとがきは全文引用したいくらいだ。簡潔な文で自らがその一翼を担った計量行政の結末を、数千年の枡の歴史が消失しようとしている、としてまとめている。キーワードは「数量・米の量・重量制・メートル法化」。
 敗戦後の国家政策の中で「尺貫法の廃止」は特筆すべき事件だったのだと思う。しかしそれは直接には勝者アメリカの押し付けではない。アメリカはイギリスよりも遅れてようやく大英帝国法からメートル法へ移行するという重い腰を今まさに上げ始めたばかりなのだから。これは明治以来の開化政策の総仕上げと位置づけるべきもので、敗戦とは無関係というより敗戦にもかかわらず国体が押し通した政策なんだと思う。
 そして一方の重量制への移行は開化政策というより信長・秀吉以来の合理主義の因習への勝利と位置づけるべきものだ。秀吉の次の家康は実質は、見かけでなく重さであることを意識していたし、天下にしらしめたいと考えていたはずである。だからこそ「重ね→嵩」「石→石高」と重力イメージを振りまいて民衆教化に努めたのである。つまり、物の量は見かけの量ではなく第一に重さであることを重視していた。そして、この概念自体はこの著者の別の書にもあるとおり日本人も古代より知っていたことである。だからこそ「重い・重ね」と同じ漢字を用いてきた。さらには「張りぼての虎」という簡潔な言葉もある。
 だが実用上は見かけの大きさを比較する方が簡単だし、どの道、中身を目で確かめながら計量しなければ質の不安が残るので枡秤が民間では使われてきた。もちろん枡を使ったごまかし方法はあるにしても質のことまで考えれば枡で量っては容器に移していく方法のほうが断然優れていたのである。しかしメートル法とセットに推進された重量制移行派が「枡秤はゴマカシ・インチキのもと、重さは公明正大」というキャンペーンを張ったことからねじれが出てきたのだと思う。つまり太閤様もビックリの「重さ信仰」というつまり歴史の振り子の振れすぎがおきたのである。でも日本人が馬鹿だったから「重さ教」に染まったわけではない。
 それを支えたのは、工場から出てくる包装済み商品の流行である。店頭での枡を使った量り売りが衰退すれば枡は消えるしかなかった。それは工場生産品の質に対する全幅の信頼によって支えられていたのである。つまり勝利者は大量生産・大量消費体制であった。
 別の言葉を使うなら、現在、それが取りざたされている「均質教」こそが重量制の定着をもたらしたのである。今問われているのは「均質社会が本当に幸福をもたらしたのか」なのである。キュウリは全て同じ太さで同じ長さで曲がったものは一つもありません、という商品経済で良いのか?ということである。