「直示詞そこ」と「坂の底」

  前回、「直示詞そこ」は「底そこ」と関係ないと書いたけど、やはり『大地の子エイラ』がヒントになって思い出したことがある。それは人類が言葉を発するようになった初期には「発語」は「呼びかけ・応答」の繰り返しではなかったということである。
  『大地の子エイラ』は、「アーリア人の祖であるクロマニヨン人」とそれより「未開のネアンデルタール人」というイメージが払拭できていないので、そのまま歴史を考えるのは危険なのだけど、古田氏の文章のようにある種のイマジネーションを喚起する力がある。それに拠れば「発語」は上長者から始まり、下位者は通常は「発語」によって応答するのではなく「首を振るなどの動作や yes/no に相当する発声で応答する」のが一般的だったということだ。
これはまさにイザナギのところで語られる「男性からの発声を正とする」というメッセージと符牒がピッタリあう。それに音声技術というものも技術だとすれば、上位者の発声がよく響くのが当然だし、またそうでなければ上位者のメンツがつぶれてしまうわけだ。身分の低いものが良く通る美声を発したら、それは身分の低いものがキンキラキンの装いをするのと同じくらい無礼な行為を意味した時期があったと考えるべきなのだ。
  だとすれば、そういう歴史段階では、聞き手のいる場所は話し手のいる場所より少なくとも心理的に低い場所に固定されていた。それが次第に、物理的にも低い場所に移行していったと考えることは突飛ではない。だから「直示詞そこ=底」という印象もあながち間違いではなかったのだ。
  だったら、「コこ=上長者の座、ソこ=下位者の座」というという音韻イメージが長い間使われていた可能性を視野においておくことも無駄ではないかもしれない。ということで前回のまとめを再掲しておく。   

ア段 [あま・まnあ] [かさ・さか] [かた・たか]
オ段 [おも・もの] [こそ・そこ] [こと・とこ]
漢字 [重思・物者] [圧力・底] [事言・常床]



■さらに、現代日本語でも、今のところ「発声」と「発語」の区別があることも思い出しておきたい。
  宴会の最後に手仕舞いをするときは「発声」。これは猿や雉の「鳴き声」ではないが、「意味のある語」ではないのだから「発語」ではない。共同体以外の誰かへの語りかけだったのだろう。だろうというのは、私自身も同年代の男性もすでにこういう習俗に馴染めなくなってしまっていたからだ。だが会社には「江戸っ子」を自負する年長の男性がいて、宴会の終わりには必ずこの儀式があった。そういうイナセな男が結構その辺にうようよいたのが、私のいた会社だった。