『古事記・上巻』の構造 (その二)

表題改め;「カサ・コソ」と「アマ・オモ」

あーあ。古田highはまだ続きそう。
  いろいろ見てたら古田氏とは関係ないんだけど『上代語にもとづく日本建築史の研究』というのがあって、開いてみると、神社関係の用語として「ヤシロ」「ホクラ」「杜・もり」が出てくるまでは想定内だったのだが、「コソ」が出てきたのだ。
  この本によると「万葉集」では例の「係り受けのこそ」を「社」と表記している例が多いという。もちろん神社の名前にも「社戸・コソヘ」が見つかるし、固有名詞でも「〜許曾神社」というのがあるという。そして著者はこれを「こそ杜もり」と関連づけてみている。さらに「古朝鮮語の杜」とも関連付けられるとの説も紹介されている。
  これで閃いたのが「かさ・さか」のオ段一括変換「こそ・そこ」である。これはほぼ「あま・まな」のオ段一括変換「おも・もの」のトコロversionである可能性がでてきた。今まで場所の直示詞「ここ、そこ、あこ」で「ソコ・底」に読み替えられるかどうか気になっていたのだけど、直接は読み替えられないというのが私の結論だった。だが「さか・そこ」ならば「坂・底」は自然な読み替えだ。そして「かさ・こそ」が記紀で対語として機能しているとすればそれは大事な点だ。
  理科教育の中で「度量衡概念の推移」を考えている時、初期に気がついたのは「かさね・重ね・笠・嵩」が派生語であるのは当然として、わからなかったのは同じ漢字の「重・オモい・主だった」への派生であった。だが、何かを重ねに重ねたら底のほうは当然重力が掛かるわけで「ソコ・強い圧力」は自然な派生だ。一方「アマ」が「実在=全世界の物」だとすれば「重い」が導かれる。つまり現代物理学でいえば運動力学は「コソ」、静止力学は「オモ」を導くということだ。もちろん、このような用語の使い方をすると後世の概念で先史の概念を説明する矛盾に陥る。だが、私が証明したいのは、先史時代の人々が感動的に実感したのは現象であって、つまりデカルトによってベクトルと名づけれらたものであって、西洋ではアリストテレスにより、日本でも記紀以降の世に実在論、あるいはオントロジーによってベクトル概念が一時的に特に学問の世界から駆逐されたのでないか、という仮説なので、こういう事例が見つかると喜びも一入になる。

まとめ

[始発のミ柱] [天之御中主神] [神産巣日神] [高御産巣日神]
ア段 [あま・まnあ] [かさ・さか] [かた・たか]
オ段 [おも・もの] [こそ・そこ] [こと・とこ]
漢字 [重思・物者] [圧力・底] [事言・常床]