『南船北馬』

 昨日は『古事記の構造』を借り出しに県立図書館まででかけた。その時に神田氏の同上の書をぱらぱらと拝見した。本当の遺稿集らしくまとまってはいないのだけど古事記関係と俳句論が面白かった。
 古事記に出てくる、捕まることを想定して衣を「腐らせて」おいて敵の裏をかく話は、BS三世紀の中国の説話集にあると書いてあって、蒙をひらかれた。古代を考える時に「量と質」までは考えていたが、こういう説話から浮かんでくるのは既に人々は物の効用を絶対ではなく相対的なものとして捉えるべきだと考えていたということだ。そうなった時、人々が「敵の裏をかく」という「知力」にひきつけられていったことも、当然想像力の射程に入ってくる。相対主義の起源というのも私の関心であるのだけど、ここで紀元前3世紀までは確認が出来たということだ。
 しかしさらに、俳句論には相対主義の理論家として「荘子」が、芭蕉とのかかわりで取り上げられていた。ここで使われる対比は「孔子の王道 vs 荘子の道なき道」「和歌 vs 俳句」。具体的には桑原武夫の「俳句第二芸術論」に対して理論的に乗り越えることのできない当時の俳壇が俎上に上げられている。要は「一 vs 多」を掲げることによって「二番目」という難詰を乗り越えられるはずだということである。