『蓮と刀』 ;蓮根か LOTUS か

    最近、刷り増しが流通しだした『日本人の行動パターン』というルース・ベネディクトの軍への報告書を核とする文献を見ていたら、『蓮と刀』が、『菊と刀』のアメリカでの出版社側の当初の仮題であったと書いてあった。もちろん、橋本治の『蓮と刀』のいくつかあるターゲットの一つは間違いなく『甘えの構造』であった。だが、それだけでは私の頭の中で二つを重ねるのは難しかった。だから二時間かかった。そしてこの二時間こそが比較文化研究について回る大きなリスクそのものであることに気がついたので今こうして書き出している。まず式を・・・。

橋本治の蓮 [イメージ] 蓮根
橋本治の蓮 [象徴] 男の筆/文筆
菊と刀』の仮題の蓮 [イメージ] LOTUS;蓮の花
菊と刀』の仮題の蓮 [象徴] 聖の仏道/俗の武士道

    ここに語彙の翻訳の不可能性が典型的に現れてしまう。日本語では有標なのは「蓮の花」で、「蓮根」は無標なのである。つまりイメージが違うのである。その先の象徴になるとこれは知識人の世界に属するから、翻訳は難しくはないけど、母語に根を持たない象徴をいくらいじくっても、比較文化の領域での実りは少ないであろう。
    さて、それではベネディクト自身は題名は何を象徴させたかったのであろう。私見は以下。

菊と刀』の菊;[象徴];通時態を象徴する血筋/共時態を象徴する権力

    結局、『菊と刀』に言寄せて一世を風靡して、現在も一部で風靡しているキーワードに、「武士道」があるが、これは原題の象徴を利用した枠組みであって、ベネディクトの意図をわざと隠した捉えかたである。欧米においては〈刀〉の原語である〈sword 剣〉は、現在でも〈聖/俗〉の一方の俗世の支配者の象徴である。なぜなら、ちょっと考えればわかるけどイギリスでは未だに〈Knight〉の称号が王室制度の中で民心掌握の仕組みとして実際に機能している。だが『菊と刀』の「刀」が換喩する「武士」など、明治維新とともに日本の表舞台から消えているのである。少なくとも帯刀するサムライは消え、資格試験合格者という意味の弁護士・会計士や医師・薬剤師や学士・技師などに置き換えられた。だから「師士道」なら,いざ知らず、「武士道」など、日本の戦後を読み解くよすがになるわけがない。
     それで文化人類学者は「恥」という標識をつけ、遅れてきた精神医学者は「甘え」を標識にして『菊と刀』を腑分けすると同時にその知名度に寄りかかって日本人を叱咤激励する立場、つまりは占領軍なき後の規範の流通者になっていこうとした。だから土居氏は『甘えの構造』の執筆意図を61年の段階で「天皇制と家族制度の撤去が個人の確立には寄与せず、甘えの氾濫と精神的社会的混乱の原因となっている」という警世を意図していたと書いている。つまり日本人を叱咤激励するために『菊と刀』を利用したのである。だが、それは「引用文」をちりばめただけの小難しい文章だった。それをバッサリ切って捨てたのが橋本治の『蓮と刀』。
    フロイトユング、フロム、そして日本人からは土居建郎と漱石をザックリ串刺しにして何をいったかというと、「恥ずかしい=こわがる」というきわめて日常的な言葉を提示したのである。私も比較文化論には素通りできなくていろいろ悪戦苦闘してきたけど、そしていくつかの段階をとおってここまできたのだけど、〈shame〉って、ちっとも日本人専用じゃないの、ってことがわかった時から比較文化の罠から自由になった。
    だって、よく考えてみれば、いやちょっと考えればわかることだけど、ベネディクトは英語でアメリカ人に向かって〈罪・恥〉という対概念を提示したのだから、当然アメリカ人にも〈恥概念〉があるし、重要なものとして理解できるって言うことになるはずなのだ。そうはっきりできれば、アメリカの映画や小説の記憶をひっくり返せばアメリカ人にとって〈shame〉ってお母さんから言われるもので、〈sin〉は教会で習うものだってことが簡単にわかる。そうすれば日本だって同じように、〈罪〉は寺や司法制度の中で言われるもので、お母さんやお祖母さんに言われるのは〈恥ずかしい〉なのだ。
     そうすると次に残るのは〈恥ずかしい=怖い〉の関連が日本は特殊なのか、ということになる。もちろん恥ずかしいことをしたら、先生や父母には叱られるだろうから〈怖い〉のは当然だし、地獄の話も〈怖い〉。人さらいも怖いし、見知らぬ人も怖い。人に笑われるのも怖い。一番怖いのは仲間はずれ。これは英語で言えば〈peer pressure〉。欧米人の子供にだって一番怖いのは〈仲間はずれ〉なのよ。それだけのことだ。
          だけどさらに、時代が、日本だけでなく西洋でも、男の子は、怖がっちゃいけないことになっていたから話がややこしくなってた。
       それがpaternalismってものでね。そのpaternalismが限界を超えたときにオーストリアフロイトが出てきて無意識っていいだして、そこからドイツにゲシュタルト心理学がでてきて、アメリカでは文化相対主義が花開いてって考えていって、最後にデカルトの「方法について」を読み返せば、そこには、大事なのは「人が思っていることと、思っていると思っていることとは違う」てことだと書いてある。つまり無意識に注意せよって書いてある。さらにご丁寧に、デカルトは自分が見つけたと思ったことは、アリストテレスをきちんと読んだら全部書いてあったとまで書いてあるのだ。アリストテレスっていえば、BC4世紀だから、モーゼも仏陀も孔丘のこともなんとなくは地中海に伝わっていたって考えてもいいことになる。未だ、生まれていなかったのはキリストとモハメットぐらいだ。
     と、ここまで書いてきて、やっと『日本人の行動パターン』が隠しつつ、見せたかったものがいよいよはっきりした。 

キーワードは夏目漱石

     橋本治は戦略上、漱石の『こころ』しか引用していないが、土居健郎はいろいろ小説を引用している。一方、この文献ではベネディクトが漱石の『坊っちゃん』を読んで重要なアイデアを得たと書いている。その部分を引用する。p 197。
「・・・・。そして、日本人の倫理システムの鍵となるのが、恩と義務と義理だと閃いたのは、夏目漱石の『坊っちゃん』を読んだときだそうである。(ハシマ,1950;以下省略)。恩と義理の葛藤についてはベネディクトもそれまで読んだ資料の中で何回も出会っていたが、これが日本人にとってどんな重大な意味をもつかは、『坊っちゃん』に教えられたようだ。したがって彼女はこのような倫理システムが日本人の行動を大きく規定していると考えて、レポートのテーマとした。」
     これで、『蓮と刀』への言及が偶然ではないと確信した。と同時に隠れちゃったものと、隠しているものを分けて考える必要が出てきた。まず引用の部分を式にすると・・・。

[漱石坊っちゃん] [図] [恩と義務と義理] [三元系]
[それまでの文献] [図] [恩と義理] [二元系]

     まず、〈地〉への展開式を描いていくのだが、その前にデータ・クレンジングをしなければ日本語にならない。明治時代以降は律令ノスタルジーで何でもかんでも二字漢字語にした。だが民間では一字漢字語も流通していた。だから〈もの・こと〉と〈事物・物事〉はほぼ同じ意味と考えることができる。だからといって書記日本語の素養があれば〈もの・物事〉という混在は使わない。体が受け付けないのだ。気持ち悪いのである。これは、NHKのニュース番組を方言丸出しでやられたらかなわないという感じと同じものだろう。別の例を出せば、「上り電車」の最後尾の車番号を「1」と呼ぶのが奇妙なのと同じだろう。でも、御維新の時もそうだったけど、先に行かなくてはならないから、ここでは明治期の漱石を二字漢字語でまとめ、従来の文献を一字に変形してカタチをそろえる。本当はさらに逆語序対を使っていろいろ検討すべきなのだが、ここでは本筋の用語でないので省略。
     ここから、〈図〉としての『坊っちゃん』をささえる〈地〉をきちんと演繹していけば、ベネディクトが『漱石』全体を参照していることは必然となる。それを演繹するためには〈図であるベネディクト〉から、その〈地〉が〈キリスト教神秘主義=trinity=文化相対主義〉であることを演繹できないと難しい。事実、そうであるからこそベネディクトが本当に心の深層を考えるときには、〈三元系〉の表象を必要とした。しかもその三元系はモーゼというユダヤ教の直系でもある。それが漱石によって与えられたのだ。

[ユダヤ教] [唯一の神] [地] [不可知主義] [神は象りでもなく、名でもない]
[ラテン語の形式] [public・individual・private] [地] [神秘主義] [Father ,Son and Holy Spirit]
[それまでの文献] [義と恩] [地] [矛盾の逆語序対;『平重盛が句』] [忠・孝は並び立たず]
[漱石坊っちゃん] [報恩と義務と義理] [地] [不能主義;『草枕;冒頭の句』] [智・情・意地は役立たず]

     ここで説明しなければならないのが〈義務と義理⇔奉公〉という変換であろう。ちょっと飛躍しているようだが、こう書けばサムライの規範が〈報恩・奉公〉となり、重盛の〈孝行・忠義〉と容易に重なるのである。しかしこの二元系だけではベネディクトの琴線に触れ得なかったのである。なぜならばベネディクトが間違いなく研究していた神秘主義は三元系で記述されているからである。だが、ベネディクトは漱石キリスト教の本質を掴みきっている知性を直感したはずである。だから、漱石の全体を読むことによって漱石の内観世界における〈二元系⇔三元系〉の対応を明確に理解し、それをベネディクトは自分の内なる内観と重ねることに成功したのである。もっと具体的にいえば、『草枕』を読むことで,徳目〈孝行・忠義〉を訓育するのが〈情・智〉であり、それらの両者ををつなぐものとして〈意地= free will 〉が日本人には自覚されていること。それを徳目にしたのが〈真・まこと・実〉であることを理解した。それこそが日本人の基本的な倫理の型であることをベネディクトは直感したのだ。図にすると以下。

[表] [奉公] [報恩]
[徳目] [忠義] [まこと] [孝行
[訓育] [智] [意地] [情]
[英語] [mind] [free will] [body
[裏] [public] [individual] [private

    ただし〈奉公〉は、元来は〈おおやけをたてまつる〉と読み下されていたのだから、サムライの徳であったが、江戸時代には〈奉公人〉のような家の中の私的な主従関係にも拡大されていたわけだから、意味は拡散していた。それは江戸時代には町屋のお内儀にまでも平安時代のお姫様さながらに〈お歯黒〉が広まっていたことと符丁している。それは江戸期の庶民が、古事記の時代のような奴婢同然ではなかったことを意味している。江戸の庶民は識字層を形成しながら、心においても上昇志向をもって、お歯黒や丁髷を取り入れて行ったのだ。だからといって庶民が殿上人になったわけではない。
     一方、漱石新渡戸稲造の中には支配層の一員としての矜持は自明のもの、天与のものとして内部に育っていたはずである。それは東部のエスタブリッシュメントの出自であるベネディクトと容易に通底していくものであったはずである。
     もちろん報告書には、『坊っちゃん』を引用した。それは文化人類学に必須の具体的なデータが豊富だからだ。さらに、異なる二つの文化の共通性、普遍性を説得するデーターとしては子供の次は若者のデータが有効だからだ。当たり前のことだが、いきなり、異国のシャーマンが言ったことを翻訳して自国の人に提示しても自国との共通性を説得する材料にはなりにくい。シャーマンや王の言葉を民衆に向けて、引用する第一の目的は二つの文化の違いを際立たせるときなのだ。
     だからこそ、日本文化の独自性を強調したい人々は「武士道」を好んできた。それは、支配階級の仲間内で使われていた時代には、つまり新渡戸の時代には「同じ」を説得するために使われたが、戦後の出版ビジネスで使われたときには「西洋とは違って、優れている日本、あるいは優れているべき日本、つまりは懐かしき美しき日本」を前提として、民衆を叱咤激励教化するために主として使われてきた。
     ここで注意しておきたいのは、子供、若者と並べていったときに〈セックス・子の誕生〉が抜け落ちてしまうことだ。『蓮と刀』はここを取り上げた。すなわち〈性とそのタブー〉だ。だが、これは文化人類学の中心テーマではあっても、その普及書の中核にはなりにくい。その理由は一つは〈タブー〉が近代国家に共通で、それはかなり強いものであることだ。つまり以前の私がそうだったのだけど『蓮と刀』を手にして思ったのは「なんだホモの本か。私には関係ない」であり、そのまま本棚に突っ込んでしまった。今回、山折哲雄氏のほのめかしにのって、何年かぶりに本棚から引っ張り出してこなければ二度と見ることはなったと思う。一方、〈性〉そのものに焦点を当てても、〈皆、知っていること〉だから、その普遍性について、なにも学者先生にわざわざ教えてもらう必要はないと民衆は思ってしまうのである。
     これは意図された隠蔽というより、結果として隠され続けてきたし、今現在も蔽われている理由の一つであろう。そのことを学者でない杉本鉞子第一次世界大戦の暗雲の近づくなかで、以下の意味のことを簡潔に表現している。『武士の娘』の最後参照のこと。

・日本もアメリカも人情に違いはない。だけどこのことはまだ当分〈ヒ・ミ・ツ〉

     ベネディクトの日本文化関連の著作は、あくまで文人である学者が、軍人をも含む一般人を教化するという目的で書いたものだ。その点で学問の普及活動を目的として書かれた『文化の型』と混同することはできない。だが、そしてだからこそ、そのベネディクトの立脚点を理解できないで、自分は大衆ではないと思い込んでいた日本の知識人の男にとっては、白人の女に過ぎないベネディクトの表現や視点そのものがイチイチ、気に食わなかったのだ。それに気がついた橋本治は男を捨てて、オトコになることで『蓮と刀』を書いた。
     つまり、橋本治は1982年当時、まだ健在だった paternalism をターゲットとして、同性愛を手段に、〈もの書き〉という立場から、既成なるものへの対抗作業を戦略的にやったわけだ。つまり明治の大人が作り出した「言文一致体」、つまり「話すように書く、という規範」を「しゃべるように書くって規範」に作り変えてしまった。まさに作家にしかできない対抗作業だった。そのための理論書が、『蓮と刀』という〈書きもの〉である。
     私の立場から補足すると、「しゃべる」の隣には「しゃぶる」と「だべる・たべる」があって、これらを onomatopoeia に変換すると〈べらべら〉〈ぺちゃくちゃ〉〈ごにょごにょ〉〈ごちゃごちゃ〉〈ぐだぐだ〉〈うだうだ〉〈んだんだ〉〈だらだら・牛のよだれ〉〈じゃかましい〉 などとなる。



逆語序対〈もの書き・書き物〉〈もの狂い・狂い者〉〈ものスゴイ・スゴイもの〉
■擬逆語序もののあはれ・哀れ者〉〈もののけ・獣〉