NHKの夜郎自大非文 ; 〜〜がかけつけてくれました

   ビデオでドンキホーテの映像詩をつkるドキュメントを見ていたら、演奏会に映像詩の総監督が来場したことを以下のようにナレーションで流していた。
●***監督もかけつけてくれました。


   だが、演奏会の日程は1年前には決まっていたのだし、ヨーロッパから駆け続けて、日本まで来ることはできないはずだ。監督は間違いなく、飛行機や自動車を乗り継いで会場まで来たはずだ。
    それに、映像詩を作成するのに、会場まで足を運ぶのは、監督自身にとってもベネフィットであるはずだ。それなのになぜ、「〜くれました」と謙譲・感謝を強調しなければならないのであろう。
    悪意に解釈すれば、NHKの仕事を快諾したことに対してNHKは一方的にへりくだっているということだ。そこには視聴料を支払っている人々の存在が視野から抜け落ちている事を歴然する。偉大な出演者とへりくだるNHK。それをありがたがっているはずの存在を無視しても構わない視聴者という構図が透けて見える。


    これを取り上げるのは、かねがね、ビラビラ謙譲語「歌わさせていただきます」をふりまく、NHKの歌番組で何度か耳にして、違和感を感じていたからだ。ゲストを紹介するのに頻繁に「〜〜がかけつけてくれました」を連発している。
    100年前ならば、急いで来たということは、まずもって、走ってきたことを意味し、ねぎらいのために休息の条件を整える必要があったが、現在はそういうことはなくなっている。なによりも予定のスケジュールをこなすのであるから「かけつけてきた」という表現は両義である。
● ぎりぎりまで他の仕事が入っていたのを無理して急いで来た、つまり売れ子である。
●スケジュール管理ができない無能さゆえに他の仕事から急いで来ざるをえなかった馬鹿ものである。


     芸能人が自分を売れっ子として遇してもらいたがる気持ちはわかるが、慣用句になってしまえばそれはビラビラ敬語に過ぎない。そこを塩梅して適切な聞き苦しくない表現を工夫創案するためにこそNHKは存在しているのだ。