海幸彦・山幸彦と大水と

    論考「音韻イメージ 〈なゐ・地震〉」を書いてから海彦・山彦のことが気になって、『古事記;倉野憲司校注』を繰ったら、なんと両人は天津日高日子番能邇々芸命と木花之佐久夜毘売との間に生まれていた。海幸彦(長子・火照命)、ついで次子(火遠理命)と生まれでて、最後の子が山彦(火遠理命天津日高日子穂穂手見命)で、神武天皇の祖父だという。
    そしてこの条で面白いのは、弟・山彦に負けた兄・海彦に、大水に出会って溺れるときの、種々の態を祈念するために、記憶が絶えぬように舞にして宮廷で繰り返す約束をさせていることだ。その詳しい状は『書紀』の別伝にあるらしいが、どうやら水位が上がってきて、手足をとられて、それから腰まで津かってさらに思うように身動きできなくなって、最後は胸まで漬かったのをなんとか逃れようとして、両手をあげてひらひら振って降参のポーズをとるというストーリーがあるらしい。なんという社会教育システムであろうか・・・・。
   現在の文教政策内の藝術振興が、ともすれば「芸の執行」ではなく、「芸人のための芸人による芸人の芸」に偏ってみえるのは、このような歴史継承の原点が見失われているからではないのか。
「音韻イメージ 〈なゐ・地震〉」http://d.hatena.ne.jp/midoka1/20110529

正本鉤・故鉤

   「海幸彦・山幸彦」では兄から「借りた本物の鉤」も重要なモチーフになっている。要するに「正統」とは何か、ということである。だが、ここでは「正本」の字が使われているが、『日本書紀坂本太郎ほか』では「故鉤」で、一書からは「我之幸鉤」とあった。

対形〈口・ム〉

    なお、辞書を繰っていったら異体字として「鉤・鈎」「鉛・勝?v「船・舩」が出てきた。
以前、論考「ある実務者の論理 http://homepage2.nifty.com/midoka/papers/russell.pdf」で以下のような例文を対形〈口・ム〉を使って弁別したのだけど、似た例を知らなかったので、「あたらずと言えども、遠からず」の例を見つけて、ちょっとうれしい気分になった。
・あの人は何かについて云々した。
・私は何かについて、あることを言った。

参考;かくかくしかじか→「斯く斯く云々」
参考;しかじか→「然然」
参考;しかと聞く→「確と」「聢と」