識者の文体・一期一会の文体

   辞任した松本龍氏が部落解放同盟の幹部だったと新聞でみて、連想したのが、二つ。
     一つは古い話だが、サヨクと思われていた民間学者を売りにしていた科学史の専門家が朝日新聞で日本の科学政策が反民主的なのは、「パターナリズム patriarchy」のしからしむる所以である、と力説していたのだが、この東大出で今は東大に天上がっている人の文章を読んでいくと、この人自身が相当に「べし・べからず主義」のまさに家父長体質であるとしか思えなかったことだ。これは丸山真男の文章を読んでいても文科系的素養がないと、やはり強権的な人だという印象をもってしまうことと通底している。
    このことに気がついたのは、「ヒットラーユダヤキリスト教からしか生まれない」という記述をみて思いついたのであるが、子供のときに教会で聖書の章句を暗誦して来た人は、親ヒットラーであれ、反ヒットラーであれ、聖書の章句を引用してしまうのである。
    だから、ながい年月を経てきた家父長文化では、どうしても多く流通する文体は家父長から、つまり上から目線の文体に収斂していく。これは全共闘の時代もかわらなかった。
  そして問題なのは今でも大手新聞社の一面の見出しにはこの文体が多いことである。もっと言えばこの文体を使うことで、ようやく「自分が何者かである」ことに自信を持てる人たちが大手新聞社では順調に出世していっていると言う事なのである。松本龍氏も反差別運動の中で、そのような上から目線文体を効果的に使ってこられたのだと思う。
    だが、テレビ画面では、これはまさに両義的なのである。
   以前、ここら辺について、考えたことを誰かがウエッブに流してくれていたので、そこから用語をもってきて整理すると以下のようなことが言える。

識者の文体    一期一会の文体
頑張れ    お大事に
復興をいそげ    復興がなりますように
首相は退陣しろ    もっとふさわしい方が見つかりますように
お前は俺に従うか    どうぞ、よろしく
お前は有能か    どうぞ、よろしく
日本が一つなんです    日本が一つになれるように努力いたします
隔たりは増幅するばかり    隔たりを埋めるために不肖、私は行動を起こします

「メディア社会の文体とことば ;http://ci.nii.ac.jp/naid/110002946977
   http://homepage2.nifty.com/midoka/papers/medialanguage98.PDF