漢字;零

CASIOの電子辞書で【霊】を見たら以下の記述があった。

名詞たま。形や質量をもたない、清らかな精気

   だが、「質量」は「大きさ」だから、これだと「形や大きさのない」となってしまう。つまり「形のない大きさ」を前提としていることになる。
   もちろん藤堂明保が脱稿した時には「形や重さをもたない」とあったはずである。形があっても重さのない事はしばしばあるからである。
   それを学校理科教育関係者が公道から「重量」を焚書坑儒する運動を始めて、出版業界が次にそれに盲従した結果、すべての公刊書物から「重さ」や「重量」を排除する運動が1991年には頻出してきた。
以下参照;「四字熟語・度量衡重」
      http://homepage2.nifty.com/midoka/papers/koujyuu.pdf

  それにしても、重量ゼロというのは極端な場合であるが、「形の大きさと重さとは独立」というのは知識人としての基本的わきまえであったはずである。そのことを「はりぼての虎」と云う言葉で学校にいけない下々にも教化してきたのが日本の良き伝統である。
  それを18才までの無償教育によってだいないしにしようとしているのが、現在の政治体制である。これは自民党民主党も変わりは無い。だが、ここまで行き詰まれば反転するしかない。









機種は以下
EX-word DATAPLUS3(XD-GW9600)