判断・断定(3);古代中世の接続詞〈が〉

    『話し言葉の日本史;野村剛史』を読んでいたら、以下の論考の続きになる例文が出てきた。
   「 判断・断定(1);語末〈のです・んです〉  http://d.hatena.ne.jp/midoka1/20120320


「いとやんごとなき際にはあらぬが、すぐれてときめきたまふありけり」

p109で有名な『源氏物語』冒頭をとりあげて、いくつかの訳が「逆接」で解釈していることをもって、「近代の語感」による間違いと決めつけている国語学の大勢を擁護している。
  だが、名詞文と形容詞文では繋ぐと云うことは逆接か順接かの二者択一にならざるを得ない。ここでは内容が逆接なのだから,逆接と解釈するのが穏当なところであろう。そのことを忌々しく思うのか同情するのかは冒頭の文からは伺うことができない。だからこそ、読み手は物語に引きつけられていくのである。
  これは構造の問題だから中世も現代も変わらない。現代文で考えてみれば以下のようになる。
    ・これは安いガ美味しい。(文意明瞭)
    ・これは安いガまずい。(文意不明瞭)

   動詞文では以下の三つの文があり得る。
   ・手をあらって、ご飯を食べる(継起)
   ・手はあらったガ、ご飯を食べる(文意不明瞭)
   ・手はあらったガ、ご飯を食べない(逆接)

  動詞文ではむしろ実際には〈意図/結果〉〈原因・結果〉の取り扱いに読み手の関心がある。ここから、文意不明の逆接が使われなくなって、その後で「ガ主格」としてリユースされ、新しい文型が派生したのである。そして逆接には「ノニ」が登場する。
   ・手をあらったノデ、ご飯を食べる(結果)
   ・手をあらったノガ、ご飯を食べる(ガ主格)
   ・手をあらったノニ、ご飯を食べる(逆接)

   ・ご飯を食べるノデ、手をあらった(理由)
   ・ご飯を食べるノガ、手をあらった(ガ主格)
   ・ご飯を食べるノニ、手をあらった(逆接・意図の両義)

そして前掲の形容詞文も以下の文型が広がっていったのである。
    ・これは安いノニ、美味しい。(逆接)
    ・これは安いノデ、まずい。(順接・理由)
    ・これは安いノガ、まずい。(取り立て主格が;集合コレの中の安いの)

さらに以下の文対をくらべれば、【主格が】といえども、「逆接」の使用法の方が適格であることが理解できる。
    ・ここでは、安いノガ、まずい。
       (常識であるから情報価値は低い)
    ・ここでは、安いノガ、おいしい。
       (反常識であるから情報価値が高い。つまりしばしば発信される文型)



   このような混乱は明治時代から東京帝大に蔓延していたと考えられる。
  それを漱石は『我が輩は猫である』の冒頭のニ文で予見している。

 ・我が輩は猫である。名前はまだない。

   論理的に考えればこの両文は順接か逆接か二者択一して解釈しなければならない。ラッセルの確定記述の概念に基づいて展開変形するならば以下の両可能性がある。
    ・我が輩は飼い猫なのに、名前はまだない。
    ・我が輩はのら猫なので、名前はまだない。
    読み手は「どっちなんだろう?」と考えて物語に引き込まれていく。どっちであるかを決めるのは両文ではなく、それを取り巻く文脈である。
     それなのに二つで一つであるべき両文を分けたまま直訳して日本の大手出版社は恥じることがない。
   だから「I am a cat」などという惨めな題名が書店を飾っている。これは多読研究会の某・先生が指摘しておられるように「I , a cat , has no name, yet.」が正しい英訳である。
    こういう英文の文型になれていないと、パラドックスクレタ人は嘘つきですとクレタ人が言った」も解釈をしくじる。井上ひさしは「他の」を挿入すべしと解決したが、その背景にある展開変形した結果の両文を理解しておく必要がある。
・私、あるクレタ人は申し上げます。「私の他のクレタ人は嘘つきです」;売国奴の宣誓
・私、クレタ人の代表は申し上げます。「私の他のクレタ人は嘘つきですが、・・・」;占領者に対する王の宣誓


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2012.5.3;追記
なお、上では【同主語文】しか扱っていなかったので、【異主語文】への展開変形を追加する。古典の授業で、語彙をいじくり回して様々な解釈を検討している例を見受けるが、まず構造をとってから、全体の文脈を理解する作業を第一に行わなくては、学習意欲はわかない。

1)「は・は」追加
   ・私は手をあらったノデ、花子はご飯を食べる(文意不明)
   ・私は手をあらったノガ、花子はご飯を食べる(文意不明)
   ・私は手をあらったノニ、花子はご飯を食べる(文意不明)
   ・私はご飯を食べるノデ、花子は手をあらった(文意不明)
   ・私はご飯を食べるノガ、花子は手をあらった(非文)
   ・私はご飯を食べるノニ、花子は手をあらった(文意不明)


2)「は・が」追加
   ・私は手をあらったノデ、花子がご飯を食べる(文意不明)
   ・私は手をあらったノガ、花子がご飯を食べる(非文)
   ○私は手をあらったノニ、花子がご飯を食べる(文意は不満)
   ・私はご飯を食べるノデ、花子が手をあらった(非文)
   ・私はご飯を食べるノガ、花子が手をあらった(非文)
   ・私はご飯を食べるノニ、花子が手をあらった(文意不明)


3)「が・は」追加
   ○私が手をあらったノデ、花子はご飯を食べる(理由)
   ・私が手をあらったノガ、花子はご飯を食べる(重複が非文)
   ○私が手をあらったノニ、花子はご飯を食べる(逆接)
   ○私がご飯を食べるノデ、花子は手をあらった(理由)
   ・私がご飯を食べるノガ、花子は手をあらった(重複が非文)
   ○私がご飯を食べるノニ、花子は手をあらった(逆接)


4)「が・が」追加
   ○私が手をあらったノデ、花子がご飯を食べる(順接)
   ・私が手をあらったノガ、花子がご飯を食べる(重複が非文)
   ○私が手をあらったノニ、花子がご飯を食べる(逆接)
   ○私がご飯を食べるノデ、花子が手をあらった(理由)
   ・私がご飯を食べるノガ、花子が手をあらった(重複が非文)
   ○私がご飯を食べるノニ、花子が手をあらった(不満)






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