武家諸法度ー宝永令

   大阪の役後の1615年(元和元年)に最初の武家諸法度が出て以来、将軍の代変わりごとに発令されるのが例になっていた。家光の時に参勤交代が明記された以外大きな変更なく、寛永令以降は林家がその任に当たってきた。
   だが、家宣は新井白石に命じて、国文で宝永令を起草した。その前の天和令では返り点などの入った「仮名まじりの漢文体」であったのが、完全な「国文」となった。
   内容としては第二条に「国群家中の政務、各(おのおの)其心力を尽くし、土民の怨苦をいたすべからざる事」と示された。
   さらに白石は『新令句解』を著して、宝永令を詳しく解説したが、綱吉いらいの重臣だった老中の土屋政直や林家からは目をむかれた。



『図説日本の歴史−変動する幕政 集英社 1975』






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