筒形銅器と巴形銅器

midoka12012-10-31

    空白の四世紀から巨大古墳に象徴される倭の五王の時代までを古代朝鮮半島と東アジアの全体の構図の中で解明するというキャッチコピーにひかれて『巨大古墳と伽耶文化;角川選書』を手に取った。
   p 210からの討論がおもしろかった。
   筒形銅器はヤリにつけて振り回すと音が鳴る構造になるように中に舌がはいっている。巴形銅器は盾につけて使ったらしい。こちらは音というより風によってクルクルと回ったのであろうか。それとも視覚だけでなく聴覚も威嚇する構造だったのだろうか。日本では四世紀中葉(弥生後期から古墳前期)から出現しているらしい。
    四世紀前半から日本ではみられるという説もあるらしい。
    先生方の関心は日朝関係に向いているが、私としては別の面が興味深い。
1,槍と矛
    日本書紀では「槍ほこ」と読ませている。「槍やり」が頻出するようになるのは鎌倉期以降である。
    考古学で弁別される「両刃の剣」と「片刃の刀」も日本書紀では弁別しない。
    つまり「天日槍あまのひぼこ」の形状は文書からは特定できない。
      ところが、ここで朝日カルチャーセンターの広告でみかけた講師・椙山林継氏の『原始・古代日本の祭祀』をパラパラとめくっていたらp16に独鈷石の装着想定図が出ていて、これをみると石と金属の組み合わせによる「ホコ」ということになる。


2,天的宗教儀式・地的宗教儀式
   日本書紀によれば、「天日槍」は11代垂仁天皇の時に新羅から渡ってきたことになっていて、学会ではこれを天の神、太陽をまつる宗教団体の代表者だとしているという。これを「天的宗教儀式」といい、銅鐸に象徴される在地の宗教を「地的宗教儀式」と弁別する。


3,銅鐸・銅槍
    そうすると、【銅鐸→タテ】で、【銅槍→ヤリ→ヨコ→ホコ】と考えるのが素直な訛転のあり方だと思う。むしろ考えるべきは「ホコ矛」の漢字使いが何時どういう理由で始まったのか、ではないだろうか。
    そして中世になって高千穂にたてられた「サカ矛」はなぜ「逆」なのか。「順矛」あるいは「正矛」は当然地面に突き立てられていると考えた結果なのではないか。それはどこに納められているのだろう。


4、巴形銅器とスイジ貝
    一般的には4本脚の形を指すらしいが、これは4世紀になってから見られるのであって、似たようなものとして、弥生時代後期(2世紀末)からスイジ貝を模したと思われる形器が出土しているらしい。脚は6〜8本とばらつきがあるという(p 221)。貝そのものは法螺貝よりは中央が丸くて生物学的には脚は6本。それが時代とともに装飾性が加味されて脚の数が増えたり、中央のとんがりが階段状になったりした挙句に突起はより明瞭になって脚は4本に収束したのが4世紀後半(東大寺山古墳など)。
  もっとも辞書では「スイジ・水字・数象徴6」を充てるとある。
    材料の観点から考えると弥生時代から石によって作られてきた祭祀器や儀式器を青銅で置き換えてきたと考える。それゆえに古墳時代にはいって再び石器が納められうようになったのではないか。


5、石釧(いしくしろ)
   古墳では、青銅器にまじってさまざまな石器が納められている。石釧、鏃形製品、紡錘車形。おもに北陸山陰を主産地とする碧玉を主に使っている。







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