ダイダラ坊と虎塚古墳

midoka12012-11-01

    夏ごろから、常陸の7世紀前半に作られたという虎塚古墳の見学をしたいと思っていて、秋の公開初日に行ってきた。同じ見学グループになった水戸から来たというご夫婦が親切にもダイダラボッチの像のある大串貝塚公園まで車で案内してくださった。
    『常陸国風土記』那賀郡の条に「平津の駅家の西12里にあり、名を大櫛という。上古、人あり、躰は極めて長大く、身は丘壟の上に居ながら、手は海浜の蜃(大ハマグリ)を摎りぬ。其の食らいし貝、積聚りて岡と成りき、時の人、大挎の義を取り入れて、今は大櫛の岡と謂う。」とあることから公園が建設されたらしい。
    『播磨の国風土記』では「大人・オオヒト」として登場するというから全国的な巨人伝説が縄文時代には広まっていたと考えてもいいのだろう。

 
   肝心の「虎塚古墳」の方もちかくの十五郎穴横穴群など鎌倉のヤグラを彷彿とさせられ、大変興味深かった。光圀公も鎌倉をあるいてそのように感じられたことと思うとまた感慨がわく。帰りの水戸駅では大型書店を冷やかしたが、やはり歴史書コーナーが充実していた。
    さらに調査センターで頒布していた『装飾古墳の世界』も思いがけない獲物であった。
  好天にもめぐまれ、よい一日だった。
 

   さて、虎塚の内部であるが、西壁には丸が9つと三日月が描かれている。ということはヤマトタケルの条に出てくる「九夕十日」を含意すると考えるのが自然であろう。さらにいうと上弦月の位置からは満月が月の終始の目印だったと考えることも自然だ。とすると次に東壁の三つの擬似半円が気になってくる。今の手持ちの駒からいえるのは二つのgibbousと満月が東の空から顔を出し終えそうになっていることと関連づけられそうだが・・・・・。やっぱり「出月入日」の象徴は相当根強いと考えるべきだ。
  それにしても中央の対三角紋と双日紋の含意はいろいろと考えさせられる。来年にははっきりさせたいものだ。



備考
チブサン古墳(熊本県http://www.pref.kumamoto.jp/site/arinomama/chibusan.html 
泉崎横穴(福岡県) http://www.vill.izumizaki.fukushima.jp/1645.html
珍敷塚古墳(福岡県) http://kofunnomori.web.fc2.com/fuku/uki/mezu.htm






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