半母音、という概念

    某大学の研究者のホームページに万葉集の冒頭の句の詠みをローマ字表記しているのだが、以下のようにヘボン式でも訓令式でもないローマ字が使われていた。発音記号でもないから学校国語でならったローマ字でよめる人々を対象にしているならば、反則活動だ。

/komojo mikomoti Fukusimojo mibukusimoti kono【ṷ】okani natumasuko/

   母音が続くときには自然な発音を得るために、半母音「w」「y」「n」「m」などが挿入されてしまっていることは言語観察学の常識だ。だから日本語でも語中の「あ」「い」「う」「え」「お」の挿入を避けるのが万葉学をふまえた契沖仮名遣いの原則だったはずだ。
    それなのに何故見ことのない発音記号まがいを使うのだろうか。
     以前にも書いたが「KIOSK」の登録記号が「キヨスク」から「キオスク」に変更されても言語学者からさしたる異論もなかったことの方がおかしいのである。
    そういう基本的な素養があれば「kono oka」と分かち書きするか一語であることを示すために「w」を挿入して「konowoka」と書けばいいことである。同じように「j」は学校では習わない。半母音としての「y」を使ってほしいもものだ。「五十聯の正字」を苦心して定めてきた先人の努力を台無しにするような好き勝手な字種の導入は厳に慎むべきである。

万葉集学は日本語の正字で行ってほしいものだ

    この大学は、英語の音韻学の研究者がいないような新規の小さな大学ではない。学内の真摯な討論が望まれる。もっとも、「a apple」では滑らかに読めないので自然と「anapple」という発音が広まったことから「anapple」という表記が工夫されたのを、「語単位文法学」が「an apple」という表記を定着されたものを直輸入して「アン アップル」と読ませて100年以上をすごしてしまってきた日本の英語学界に自浄能力を期待するのは無理かも知れない。

    なお、ついでに吠えとくと、NHKに出演した研究者が舞い上がって自分の些末な主張を一般教養番組で披瀝しているのを、NHKのアナンサーがもみ手で「ご高説」を拝聴しているのもおかしい。以前学校で習った鎌倉幕府の成立を1192年とするのは間違いとしている人を見かけたが、最近では鉄砲伝来も一年違っているとの主張が見られた。だが、そんなこと、国民としての素養の涵養にどれほどの影響があるのだろう。すべからく「事件」というものは前後があるのだから、少なくとも三つの時間で記述していくのが本来であろう。それにしたって、「始め」「経過」「終わり」、それ自身も瞬間ということはありえない。さらに「前中後」に分かれていくのがフツーであろう。そんなことを年単位で示し、子供に暗記させるという教育が間違っている。
    大学の研究者は、まず大学入試で些末な知識を詰め込んだだけの若者を合格せている大学の在り方を変えることに注力してほしい。





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