熊野坐神社と三体の月

   今年の6月6日に放送されたNHKの番組で知った。ビデオは即消去が原則なのだけど、これは「くまのにますじんじゃ」という読み仮名が気になって取っておいた。家人がなぜか見たいというので見ていたら、その時にはまったく頭に残らなかった「三体の月」の逸話が身にしみた。
    それは今月初に見学した常陸の国の虎塚古墳の中で東側の壁に三体の月が描かれていたからだ。
   http://d.hatena.ne.jp/midoka1/20121101
    それは満月か満月にちかい三体だった。NHKの流した漫画も満月三つだった。その時にも書いたが、これはgibbousという英語を知らないとちょっと読み解くのが難しい。
    これは英語辞典によると凸状のゆがんだ天体、あるいは猫背、背中のこぶ、となっている。だが、英英辞典では明確に満月未満半月以上の大きさの月とある。さらに英辞郎では「waning gibbous 」と「waxing gibbous 」とを弁別している。
     現在熊野の地でおこなわれる「三体月の観察」は主として11月のツゴモリ近くに行われるようだから、冬至直前のツゴモリを仮構していると考えられる。これは、冬至と朔前・朔後の三事からきているのであろう。つまり名前も「三事・尊の月」と考えるべきだ。
     だが、ヤマト王権が成立して壁画古墳が導入される以前にひろく作られていた装飾古墳は満月とその前後の月を含意すると考えるのが妥当であろう。
     当時は満月を確定するのは難しかったはずだから、満月の次の夜にすこしゆがんだ形を確認して「waningの始まり」を確定したはずである。それは「朔の確定」が新月や三日月によって行われるのと対になっている慣行と考えることができる。現在のわれわれは何でも直接に「それ」を指事出来るし、すべきだと考えやすいが、むしろ少しずれたときに「真」というものを認識できるのだと考えていた装飾古墳時代の人々の知恵はあなどれないと思う。
    そして どこかの文化人が「寝待月, 立ち待ち月などと繊細な語彙をもつ日本人はすばらしい。西洋人には負けるもんか」と頻繁に高説をたれているのがこっけいに見えてくる。彼らは、はるかな祖先の英知よりも、物として残された書籍をありがたがってその受け売りをしているだけなのだ。ユーラシア大陸の東だろうが西だろうが暦を印刷して各家に飾るようになる前には人々は夜空を見上げて月読みをしていたに決まっている。そのような語を外国人にも教え込むべきだとはかんがえなかっただけのことであろう。


   なお、gibbon を引くと類人猿の総称、手長猿、南アジア、東インド諸島とある。これと「申」とを関連付けるのは次の作業になる。





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