祇園守紋

 「葵の紋」と書いてから、自分がいかに家紋と無縁で生きてきたか、気がついた。最初の出会いは「能登の平家」。それまで紋は[植物」と思い込んでいたので、「蝶」の意匠にも、そのデザインにも感動したのを覚えている。
 『家紋大図鑑』を広げてみると、阿倍晴明の紋が「五茫星」なのにびっくりしたり、樋口氏の軽妙な語り口も興味深かった。中でもキリシタン大名の使い始めた「クルス紋」が京都の八坂神社の紋にあやかって「祇園守紋」として生き残ってきているとの指摘は新鮮だった。
 考えてみれば今の私達がキリスト教のシンボルを「十字架」と漢字で書けるのも「十」という一種の絵文字が「ある種の究極」という意味をもって我々の伝統に根付いていたからなのだが、それが家紋の中でもきちんとして位置を占めていたというのはおもしろい。
 幕府も葵の紋の統制はきっちりやったようだが、菊の紋が市中で薬の広告に使われても見て見ぬふりしていたらしいし、キリシタン狩は熱心にやっても〈十字=キリスト教〉とまでは詮索しなかったということである。
 というより〈十字=十字架〉という思い込みは戦後の映像文化の氾濫に拠っている、とはっきり認識しておくべきだということである。