映画「長崎ぶらぶら節」

 ビデオショップにいくと「ご当地モノ」コーナーがあってマイナーな作品があり、ファンである。今は蛇神のことが、頭から離れないので、そう思ってみると出て来る風景という風景の中に蛇が見えてしまう。沢筋も大木の幹の肌も、なにもかも。もちろん吉永小百合のなまめかしさも日本人ならそこに蛇をみることも可能である。ということで途中からはストーリーに集中することにしたのだけど・・・。
 終わってつらつら考えて、蛇を連想しないですむ場面を挙げてみようとしたら、結構簡単だった。それは最初の実際の蛍の場面と主人公の今わの際の幻想的な蛍の場面だった。
 「カタチ」がないからなのだろう。そして日本人が星座という概念を自前で持たなかったし、それをありがたがった歴史もないことに思い至った。降るような星を蛍と結びつける、これがこの国の心のあり方を規定してきたのかもしれない。