正唱法と正書法

 『古代国語の音韻に就いて;岩波文庫』『いろはうた』『日本語はいかにつくられたか?』の三冊を平行して読んだ。どれも二回目のtry。最初は筋を追うことしか出来なかったが、今回は少し絵柄が見えてきた。関連するところを『情報の歴史』を参考に年表にしてみた。
  ・ 712 太安万侶旧辞を編纂(稗田阿礼
  ・ 720 記紀の編纂開始
  ・ 790 大伴家持万葉集全20巻完成。
         万葉仮名973字
  ・ 831 空海『吽字義』
  ・ 893 菅原道真『新万葉集
  ・ 901 菅原道真 失脚
   ・905 紀貫之 勅撰『古今和歌集
  ・ 935 紀貫之 『土佐日記
         竹取、伊勢、宇津保物語
  ・ 999  藤原彰子 入内
         いろは47文字と五十音図
  ・1205 藤原定家 『新古今和歌集
  日本の学問はえてして「正統」という概念に鈍感だ。だから学校では稗田阿礼の名前を暗記させられたが、彼の能力は暗記力だけ、との印象しかもてなかった。この問題を考える時に忘れてはならないのは彼が「正唱法」の正統な伝承者だったことではないかと思う。音韻は無数にあるし、人により、同じ人でも感情や意図が違えば当人は同じ音韻だと思って使っても、違ってしまう。そういう中にあって「正しい音韻」を伝える技能者が必要だったのが古代だったはずだ。とすれば太安万侶の使命は正唱をもとに正書法を確立することだったはずだ。では両人の正統性を担保するのは何だったのだろう。
   それが橋本氏の発見した甲乙音韻、あるいは「八段音」なのだと思う。何か創造していくときに、当人の頭の中には少なくとも理論の種、あるいはイメージがあるはずだが、それは業績、あるいは結果に比べて伝わりにくいものである。現在でも甲乙音韻の具体的な機能は明らかになっていないようだが、現実の音韻との対応から入る限りわからないと思う。大事なのは「八段」だったことなのだ。陰陽五行導入以前の日本の指導層にとっては「正数=4,8」だったのだ。だから「八段」である必要があった。
  だが陰陽五行では正数は5。そうこうする内にシッタン学が入ってきて母音は5つであることが動かしようのない事実になってしまった。はっきりさせた最大の功労者は空海であろう。それは正統口承法の抜本的改変をもとめた。
  では「かな47文字」の正統性を担保するものは何であろうか。なかなかわからなかったが「阿女都千」が48文字であることを知ったとき謎が氷解した。八段から48文字へ。これが答えだ。「阿女都千」では「ヤ行のエ」が残っているが、これは現実の音韻のあり様から出てきたのではなく、まず「48=8*6}があったのだ。
  でも「いろは文字は47」。おかしいではないかと、反論が来るだろう。確かに「いろは」だけを、その中だけを見ていてはわからない。そこで大事になるのが7字分かち書きをしたときに出てくる「とがなくてしす」なのだ。これによって「菅原道真」が連想され、天満宮の入り口にある二匹の狛犬「阿吽」と「いろは」が一つになる。「あ」は「いろは」の中に既にあるのだから「いろは+吽」で48字になるのである。
  それでは「阿吽」とは何か。禅宗やシッタン学でどのように説明されてるかはわからないが、日本語の日本語らしさからは説明できる。日本語は「呼びかけ」をすごく大事にする言語なのである。以下の三つの文例を見て欲しい。
   ・田中さん、田中さんは今日何時まで残業しますか。(ていねい体)
   ・田中さん、あなたは今日何時まで残業しますか。(翻訳体)
   ・田中さん、何時まで残業する?(みうち体)
  「あなた」のようないわゆる「代名詞」を使うよりは「主部」を省略する。それが日本語である。なぜか。まさに聞き手に送る「阿」信号こそが大事だからである。呼びかけを受けて、聞き手は傾聴体制に入るように自らの脳に指令をだすのである。会話が終わった時は、「お邪魔しました」とか「じゃね」とかの「吽」信号を送って会話を終わらせることを明確にする。だから話す内容が「図」なら「阿吽」は「地」であり、話し言葉ではそのことを忘れてはならない、というのが空海ー道真によって確立された正統日本語なのだと思う。それは別の言い方をするならば言語理論は情報理論と一体不離でなければならないということである。今まで現代日本語で日本語についてかかれた本を読んできて、このメッセージを強く感じたのは大野晋氏と中右実氏の著作によってであった。
   最後に加えると「いろは+阿+吽」で実は仏教の正数7*7=49が得られる。48と49。どちらにとるかは受け手にゆだねられているのである。学校で神仏習合について習ったがそれは単なる「馴れ合い」としか思わなかった。それは戦後まで、教育のあらゆる側面に「廃仏毀釈」の考え方がしみこんでいたからだ。だが大切なのは習合とは文脈をはっきりさせることであり、その訓育を伴っていたという事である。
  戦後教育で代わりに教えられたのは西洋人のTPO概念であった。だが我々の祖先が残してくれたものは「地なき図は意味をもたず」であったのだ。


■『筋が見えにくいので結論をまとめます。
①「阿女都千」48文字+「阿吽」=50;神道の正数 5*10
   戦後世代の私にはすぐわからなかったが、古典の教養があれば「あめつち=天神地祇」なのである。
②「いろは 」47文字+「阿吽」=49;仏教の正数 7*7
   これも江戸時代までにはよく知られていたらしいが、49文字を7字ずつ区切ると「とがなくてしす」が現れ「天満宮」を指す』(2006/08/12 03:25)