たかが正数、されど正数

  7月23日の「正唱法と正書法」の中の「正数」は企業の管理職をやったことがない人にはわかりにくいと思うので、補足する。経営方針とか年度方針を書くときに、上司によって3とか5とか好みが違い、その数を間違えると、決裁がおりず、残業と無駄手間がふえるのである。それが取締役の個人的な好みである場合もあるが、創業者であれば、その創業者の好みの数が当該企業の「正数」になるのである。馬鹿馬鹿しいと思っても、決裁が下りなければサラリーマンは立ち行かないのだから、仕方ない。そういう宮仕えをしているうちに自分でも自然と「正数」が身体化する。周りが皆そういう人ばかりなら誰もその数の意味を問うようなことはなくなるのである。
 逆に言えば、心機一転をはかるには正数を変えるという方法があるが、そのときには「理由」が必要になる。日本の歴史を振り返ると正数が変わってきたことは確かだろう。高校の歴史資料集から簡略表を作ってみよう。
   ?   ヤマトタケル  かか並べて夜は九夜、日は十日
  604  憲法十七条
        暦法 60進法
  646  大化の改新の詔(四条)
        律令制  50戸単位
 1232  貞永式目 51条(17*3)  3は「天地人」と言われている。
 1615  武家諸法度(13条)  後に19条→15条
 1868  五箇条のご誓文
 1945  労働組合法(4章)
 1946  日本国憲法(前文および11章)
 1947  教育基本法(前文および11章)
 1947  労働基準法(全12章)
  神道天皇家も第一正数が「5」であることは間違いないが、正式紋は「五三の桐」で副紋に「16枚の菊花弁」を置いているので、どっちにも解釈できるようになっている。世界を支配するには全方位で望むのが得策なのであろう。では臣下はどうであろう。藤原氏は二房の藤花だが藤自体が集合花だから「2と多」である。徳川はすっきり「三つ葵」だが能書きには双葉葵とあるから「2と3」である。仏教の本家は「六」が正数だが日本の仏教に限って「7」が正数。明治以降の内閣は本願寺の紋と同じ「七五の桐紋」を使うが、これはどういく意味を読み取ることができるのだろうか。
  アメリカに押し付けられたといわれる戦後の主な法律は正数4。正数5が骨まで染み付いている人々には耐え難いのもよくわかる。だが大化の改新の詔は4条だし、菊のご紋は「正数4」も大事であることを示している。
  そして最後にというか最初に戻って17条憲法の17はどう分解すべきなのだろう。手元にある資料集からは構造は伺えなかった。
1、和
2、三宝を敬え(仏教)
3、君は天、臣は地(天皇中心)
4、礼が本
5、
6、勧善懲悪
7、
8、官吏は朝から働け(勤勉)
9、信は義の本
10、
11、賞罰は根拠を示せ
12、百姓は天皇のものだから私物化はいけない
13、
14、
15、私よりも公が大事
16、公共事業は民の生活を脅かさないように暦にしたがえ
17、衆議を大事に

■補足(2006/08/20)
 一神教の原典「十戒」は<10=3+7〉の構造を持つ。7はより古代からの自然法を引き継ぐいわゆる道徳で、最初の1〜3が預言者の規範である信仰規範。すなわち①神は敬わなければならない。②神のイメージを拝んではならない。③神の名をみだりに唱えてはならない。この三つを二元論で記述すれば〈不立文字=大事なものは文字に出来ない〉を得る。