『「君が代」、うずまく源流』

 今日は「ペルシャ文明展」を見に行く予定だったのに主人が半休をとるというので出遅れて、ぶらぶらしていたら「出版ダイジェスト」が届いた。古田武彦氏の出版案内が載っていて急に気になり、インターネットへ。近所の図書館にあるのを確認して、主人が出かけるのを待って図書館へ。一気に読了。
■結論;大和王朝の天皇への賛歌ではなく、九州王朝の大王への賛歌である。
■根拠

  • ① 糸島・博多湾岸の地名(千代)、神名(苔牟須売神)、神社名(細石神社)、糸島郡井原の旧字が岩羅(いわほ・いわを)であった。 
  • ② 糸島・博多湾岸周辺には「風俗歌・地歌」としての「君が代」が伝承されている。
  • ③ 薩摩琵琶歌などにも影響しており、「筑紫の君」への賛歌にとどまらず、「全九州の統一者」への賛歌と見ることができる。 

■考察

  • ① 九州の歴史は弥生期には博多の五王墓(三雲、井原、平原、吉武高木、須玖岡本)の「三種の神器」出土文明、古墳時代筑後川以南の石人・石馬付古墳と大きく分けられる。当然この歌は弥生期より以前の石器文明時に発生したと考えることができ、九州全域の神石信仰と対応するとみれる。
  • ② 「細石」の「細さざれ」は単に「細かい」ではなく「神聖な」という意味をもって歌われている。糸島郡の今山にある「細語橋(ささやきはし)」は「神聖な言葉」「神の語」という意味であったことが浮かびあがる。
  • ③ 音韻「わ」の再認識。「いわ」も「みわ三輪」同様の「神聖な場所」を意味した可能性が濃厚になる。「いはら」のような正書が音韻「いわら」である可能性を無視することは危険である。近隣の「さわら←沢羅」「磯良←磯羅」のような音韻復元が可能である。当然「羅ら」は特別の場所であることを意味するための接尾辞である。 
  • ④ 細石神社の祭紳は「石長比売」と「木花之佐久夜毘売」の姉妹である。前者が悪役ということは全文明の支配者である。まさに神石信仰につながる。これはイザナギが最初に声をかけた結果生まれた「ひるこ」も同じで、「昼の大神=太陽の女神」を貶めた逸話。

■感想   ペルシャの金をみながら、改めて日本人が金属を好まない理由を考えようと思っていたのだが、結局縄文時代に高度な石器文明が成熟して、それ以降新しい文明が入ってきても価値観にはみるべきものを感じなかったってことなのだと思った。戦後のサラリーマンを席巻した金属カフスボタンも維新以来100年で「気障の証拠」になってしまった。ノーネクタイ運動は今一だけど、部屋の中では靴を脱ぐ方が合理的だという価値観はパリやニューヨークではかなり広まっているようだし、日本人の暮らし方の合理性は人類共通になれると思う。でもこういう風に歴史を積み重ねるには「古いものを残す」だけでは駄目なんだと思う。
  ここでは「は⇔わ」と「接尾辞ら」が考察されているけど、次の時代に「ヤ行の正音」が定められた時に現在まで続いている「つや・つゆ・つよ」の三語組(三対語)を確立した祖先のことも思い出しておきたい。そこで「細つゆ」が「つや・つよ」の、「粒つぶ」が「つば・つぼ」の基盤であるという哲学を確立してきた無名の人がいたのだ。だから現在の日本人が「強い男」と「強い物」が大好きで、「つや」からは「つるっぱげ」とか「きんきら金の成金」ぐらいしか連想しないことを先史時代にまでさかのぼって考えることができるのだ。
  さらにこれは正字にはならなかったが、正音であったと思われる「つば・つぶ・つぼ」も思い出しておきたい。これにより「大きさの単位」という概念を祖先は残してくれたのである。
   最後にに、「石長比売」と「木花之佐久夜毘売」のことだが、もしここでも「逆接」という造語法を使えるなら「木花之佐久夜毘売→のこ・なわ・くさ・びや・め」と分解できる。その方が「石・長」との対比がすんなり腑に落ちるのだが。

■メモ
  ・佐賀県伊万里;黒曜石→からすんまくら→カラスの真っくら→黒い祝祭の場 (高御倉、祝詞倉→乗鞍、桜→佐倉)
  ・新羅
  ・百済・下松くだりまつ、果物→実りあるもの