「ぬばたまの」と「くさり」

  ひき続き、古田武彦high。ナウマンの『山ノ神』以来、久々のtrans。これが細部を共有するということなのだろう。脳の中に個別にしまってあったものがつながってくる。crysatalization。こういう状態になると、とにかく疲れる。脳が疲れる。体に脳がついているのではなく、脳のために体が動員されている状態になる。板チョコをぺろりと食べきってしまう。書いては寝る。寝ては結果を書きとめる。疲れる。この繰り返し。いつ終わるかはわからない。もちろん現実生活が騒がしくなれば即中断。(これが出来ないとたぶん病院行きになっていたのだと思う。)
  さて、「ぬばたまの」は学校で夜とか黒の枕詞として習ったが、ぜんぜんピンとこなかった。広辞苑にはヒオウギの黒くて丸い種子とかあって、もっとわからなくなるのだけど、黒曜石と聞いてなんか腑に落ちたのだ。ムカーシ、黒曜石が美しくて、高価で、力の象徴だった時代があるのなら、「ぬばたまの」はすごい形容詞になる。私も漆黒の黒髪でなくて、もっとつやつやした、ぬれているような「ぬばたまの黒髪」を欲しいところだ。
  そして「くさり」だが、これは以下のような続きになる。先日、「コノハナサクヤビメ」を「のこ・わな・くさ・びや」と decoding してみたものの当座は自信がなかった。だが、古事記をひっくり返すと「コノハナチルヒメ」が「オオクニヌシ」の遠祖で登場している。
  要するに神武天皇は「オオヤマの神」と「オオウミの神」の両方の血をうけているわけだが「コノハナサクヤビメ」は「大山の姫」なわけだ。とすれば「のこ・わな」だけのお姫様はあえなく「散る」しかなかったのに「くさ・びや」を得た姫は天皇家の遠祖になったということになる。その謎を解くには「イワナガヒメ」が登場する必要があったのだ。
  古田氏も言っているように「神石文明 vs 鉄器文明]」ということだ。だがここでさらに trans にならないと「くさ・びや」から「鉄」を連想するのは難しい。思い出したのが「クサナギの剣」。この話も聞いた時変だと思ったけど忘れてしまっていた。ところがなぜか私の勤務先の事業所が草薙という駅の近くにあって、実際に出張に行くことがあって、ますます変だとだけは思っていたのだけど忘れていた。「ヤマタノオロチ」は出雲に居たはずはずなのに「なんで、静岡なの?」。おかしいですよね。そこでさらに思い出したのがヤマトタケルが静岡近辺で野火を除けるために「草をなぎ倒した話」。
  こういう小話のおかげもあって、現代日本語にどっぷりとつかっていると確かに音韻「くさ」」から第一に、多分第十くらいまでは「草」を連想するのだけど、やっぱり最後に「くさり」と「くさび」がパンドラの箱の底から立ち上ってくるのです。そうなるためには「大きい」と「重い」について7年ぐらいバッカッみたいに考えておかないとならないんですけど。それでも古田highに出会わなければ「くさ=草」という思い込みから抜け出すことはなかっただろう。
  そう「のこ・わな」だけのお姫様は「散る」しかなかったけど「くさ・くさり・くさび」を得たお姫様は天皇家の遠祖になったわけです。そしてかつて神石信仰とまでは行かなくても「石の道具」で満足していた人々が「金属」に対していだいた「腐る」「臭い」という不快感は「石」というもののもつ存在感を見事に反対から照射している。それが「草=腐ったら臭い」という性質とどこかでとり間違えられていったのか。今後の面白い研究テーマである。それが出来れば「クサナギの剣」とは要するに「鉄で出来た長い棒だった」ってことになる。