逆接による造語

  まだまだ続く古田武彦high。
  「度量衡概念の推移」の問題を考えている時に、少なくとも古事記の段階では造語法に2つの系統がある事がわかった。「ア段とオ段の対比」と「逆接法」である。とりわけ逆接法は漢字の造語法に受け継がれて行った。漢字例の代表が「物事・事物」「筋道・道筋」「論理・理論」。いずれも歴史上も現代も日本思想と日本語生活の重要な基礎語である。
  古い語の代表が「あま・まnあ」「たか・かた」。古事記の世界を理解するにはなくてはならない基礎語である。〈まnあ〉と、間に子音を入れたのは奈良時代までの日本語では母音は語中にこれないので、何か子音を入れるしかないので、諸般の状況から〈n〉が最適だと判断した。それぞれは「触れえない・触れえる」に対応すると考えたのだが、その後陰陽五行を勉強してみると〈用・体〉と区分したほうが現代日本語として自然な命名になる。
  このような考えで「コノハナサクヤヒメ」のdecodingを再度眺めてみると〈この・のこ〉〈わな・なわ〉〈さく・くさ〉も後方の語が〈体〉であることは間違いない。そして〈わな・なわ〉は現代日本語でも〈用・体〉としてすぐに理解できる。残りの二つはどうだろう。
  〈さく・柵〉がすぐ思い浮かぶが、漢字字典をみてもあまり触発はされない。ところが〈冊〉の方をみると〈短冊を紐で通したもの〉とある。これであれば〈柵〉の柱ではなく、柱と柱の間にかけた紐という意味につながり、〈用・体〉の関係を読み取ることができる。神社でよく見かける通行止めの印の「注連縄」を、敵を仮想した本格的なもの(=金属のくさり)である場合に〈柵〉と呼んだとしたらそれは自然なことである。
  わからないのが〈この・のこ〉の〈この〉。なんの連想も浮かばない。とりあえず、ここで終わって違う方面から攻めるとする。
  まず、〈このはなさくやひめ〉と同じくらい意味不明の〈スサノヲ〉をいじってみる。〈すさ・さす〉〈のを・おの〉となったが、〈さす〉の意味が難しい。広辞苑に拠れば〈焼畑〉と〈潟=塩湖〉という反対の意味を持っている。私の古典の知識ではここまでのようだ。
   だが負け惜しみをいえば〈斧、刺す〉のように〈対語〉ではなく〈句〉だと考えれば、〈アマテラス〉〈ツクヨミ〉との対応はむしろよくなる。この〈句〉は〈体言+用言〉として現在の日本語に引き継がれている。
  だが・・・・。
  「イワナガヒメ」は二つの解釈が可能になる。〈岩と長い流れ=土と水>であれば〈対語>だし、〈岩長し>であれば<句>であり、すなわち〈体・用〉。、〈アマテラス〉〈ツクヨミ〉についてはこういう疑問が起きないのは他動詞であることが前提になっているからである。つまり〈くさ=草〉のような思い込みが続いているからである。だが〈アマテル〉と言った途端、なにやら〈自動詞〉が聞こえてくる。そして「自動詞〉と〈形容詞〉の区分は現代日本語でも厳密に分けられないときがある。
最後に確認しておきたいのは古事記には二つの語彙関係があるということである。健在しているのは〈体言+用言〉。だが語彙構造は〈用・体〉を仮構しなければ見えてこない。
  今日はここまで。



9月15日〈スサノヲ)の続き。
   数晩寝たら 何かがはっきりしてきた。先日は〈サス〉を名詞として考えたからわからなかったけど、単純に考えれば他動詞なのだから〈サス斧〉とは〈鉄の斧を刺す〉の意味しかありえない。〈石斧〉でできるのは〈たたく〉かせいぜい〈突きたてる〉。〈刺しぬく〉というのが鉄器のすごさの象徴的表記となったのであろう。
   あるいは大きいだけの石斧に対し黒曜石の刃をもつ石斧を特別視していたのが神石文明だったとすれば「ササ石」こそが「鋭利な刃物」をすでに意味していた、と考えることもできる。戸隠の奥社にあるのは「細れ石」で、製鉄とも砂鉄とも縁がない全国に広まったのは「当て字」ということになる。そして現代日本語話者のすなおな実感は「笹の葉はよく切れる」である。そして音韻「ササ」も「クサ」ほどではないが、多義的に広範に使われている。
  さらに料理名の〈刺身〉が思い出される。〈おつくり〉でもいいけど〈刺身〉の方が〈刺身包丁〉という飛び切り上等の、タガネ刃物の極限技を連想するから名づけたのだと考えられる。江戸時代の古事記を読んだことのある町のご隠居さんあたりが名付け親かも。そして大工道具には〈サス〉を使わないことも思い出した。ノコは「あてて、ひく」。広辞苑によれば「オノ」とは「くさび型の鉄のかたまりを硬い木の棒にくくりつけたもの」とある。だが樵の〈オノ〉は振り下ろすものだったはず。だから〈斧サス〉とは特別の表現だったに違いない。

   しかしここまで来て古田氏が躍起になって取り出そうとしている「神石文明」のあとの「鉄器文明」が記紀では影の薄いことが改めて気になった。吉野裕子氏のテーマは五行思想によって隠蔽された蛇神信仰だったのだが、そこには「鉄のテの字」も見出せなかった。もちろん著者も私も興味がなかったから見えなかっただけかもしれない。だが、それだけだろうか。
   そして・・・・、偶然机の上にあった『古代技術の復権』という本をパラパラしていたら「いい鉄を作るには鞴(ふいご)のいいのがなきゃ無理です」という言葉が飛び込んできた。だったら「黒曜石・長姫」に対し「鉄石・風神」を対置すればいいわけで、対置してしまえば「石」も「鉄」もどこかにしまいこんでもいいことになる。そして名前の方は「流れ神・ナーガ」としておけば拝む人が石長でも蛇でもフイゴでも、好きな方を勝手にイメージすればよい仕組みが出来上がるわけだ。
    最後になってしまったけど、やっと何故、「スサノヲ」と「コノハナサクヤヒメ」だけが「逆接語」なのかが、わかった。「体」の方は当時の人々が素材によって厳密に使い分けていたので、特定の語を直に使うと「支配・被支配関係」がストレートに出てしまったのではないだろうか。「用」の方を使っておけば、当時の人は意味を読み取れるが、社会関係としての上下関係とは切り離して理解しやすかったのだろう。具体的に言えば「縄」は草で作るに決まっているが「わな」は縄で作ろうが鎖でつくろうがいいわけで、聞いた人が勝手にイメージできる余地が大きいのである。
   あるいは、「あな・わな」という「トコロ・モノ」という造語法がまずあったのかもしれない。現在では文脈から区分けするが、たとえば「富士山」は「トコロ」なのか「モノ」なのか迷うところである。日本語文法に分け入ってみるとみると、区分の方法がみつかるが、日常の言語生活では意識していない。記紀あるいは記紀以前には音韻に「トコロ・モノ」の区分法が組み込まれたいたと考えることはそれほど突飛ではないはずだ。