『古事記・上巻』の構造 (その初)

  古田武彦highの続き。。
  「古事記」を考えるんだったら、最初の三柱の一人神たち、天之御中主神高御産巣日神神産巣日神について押さえるべきだと思う。それも当て字の漢字ではなく音韻の意味を捉えことが必要になる。
  「アマ・タカ」の「あまねき実在・イノチの伸張方向」というイメージは「度量衡概念の推移」を考えている時に見出したものだが、それでは「カムムスビ」の「カム」は何を意味するのだろう。素直に読めば「噛む」。これを「あまねき実在」レベルの語彙に変換するのは難しかった。でもわかれば簡単。「発酵」である。歴史書を読んでいると墳墓や大規模集落の痕跡探しに圧倒されてしまうが、こういう技術が意味を持つ前提として食品保蔵の技術が確立していなければならないことを見失いがちなのである。
  では食品保蔵からもたらされる「アマ・タカ」と決定的に異なる世界認識ははなんだろうか。それは「人為」の発見である。人が手を加えてはじめて酒は酒として確保でき、干し肉や干し貝は確実な物品に変換されるのである。その人為を「カム」と名づけた。それは「口の中で噛む」ことと「塩を食品にまぶしてかませる」ことの二つのイメージを重ねたものである。
   ここまで来れば、残りは「ムスビ」。〈むすぶ〉なら他動詞だが、現代日本語話者の直感は〈ビ〉を、自動詞〈むす〉の名詞化接尾辞と解釈する。そうすると〈むす=何かが生成する=現象>であることがわかる。そうなるとはじめて「天之御中」との対比がすっきりとわかってくる。「天之御中」は度量衡の時に考えたように「あまねき実在」であり、「その中」とは「実在するこの世」のことである。そして「むすび」は「現象」である。古事記は「実在と現象」を始発とおく、ということである。現象とは「萌えいずるイノチ=ひたすら上方へとむかう草木のイノチ」という「天為」と「人為=自然と共同する人為」の二つである。つまり三柱の神とは「実在」「天為」「人為」の三つである。


  次に問題になるのが「カムムスビ」を「イザナギ」「イザナミ」に先立つ「尊みこと」とおいた古事記編集者の意図である。人にはそれぞれ癖があるけど、私は物事を単純化して考えるのが好きだ。要するに二つの人為のうち「セックスして子どもを為す」という人為をより新しい人為とおいたのである。子作りが人為であるという発見は男にとってはすごいことだと思うけど、本当に理解するには時間がかかったはずだ。その時期の描写については「大地の子エイラ」がよくできているが、今でも男性は現前の赤ん坊の原因が自分であると100%確信するのは難しいはずだ。だからこそ、その反動が女性の貞操に関するヒステリックな制度を生み出してきたのだ。その最後の名残が「万世一系」。DNA鑑定の世になっても「男性が実感できない」というトラウマは日本に限って、制度として残るようだ。だが古事記は人為とおいた。人為とおいたということは眼前の子には人為という原因が必ずあるとすることである。
  当然古事記でも二番目の人為をめぐる長い主導権争いががあったことがイザナギイザナミのところで記述される。なぜなら「口の中で噛む」のは女性主導のセックスのメタファであり、「塩をまぶす」のは男性主導のセックスのメタファだからだ。そして結論が男性主導(男性からの発声・ヒダリ回り)を「正」とすることである。
   ここで「正」について注釈するならば「正」はきわめて多義的である。「正副」「正邪」「正面・背面」「正月・上がり月」までいろいろある。あきらかに古事記では女性は「邪」ではない。だがこの古事記をもとに行われた日本の政の1000年有余は女性を「邪」とまで貶めることであった。前回の丙午の出生動向が何よりの証拠である。万世一系天皇を主張する面々には女性天皇以外の具体的な是正策の提案を望みたい。ただ「一系」を唱えるだけなら何の知恵もなくてもできることである。それが出来なければ、明治の復古を超える、さらなる復古運動が必要になる。


   さて、神代の最後に登場する「アマテラス」「ツキヨミ」「スサノヲ」と最初の一人神たちの関係はどう見ることができるのだろう。音韻を素直に反芻すれば「アマノミナカ」は「アマテラス」に、残りは意味から考えれば「タカムスビ」が「ツキヨミ」になり、「カムムスビ」は「スサノヲ」に帰属できる。「在る」と「為る」から「為す」への転換である。あるいは全ての自然現象を擬人化したということである。
  ここで大事なのは、これにより〈アマ〉を〈普遍・不変〉のメタファに帰属させたことである。だがこの伝承が不十分に終わったことも否めない。それは〈ツキヨミ〉への言及がほとんどないという事実と表裏をなしている。三点セットだったものを二点セットにしてしまえば、その象徴的意味はわからなくなってしまう。
   その結果、〈アマネキ実在〉から〈アマテラス〉への転換も不首尾に終わった。〈アマテラス〉は「オテントウサマ」へ。〈アマのミナカ〉は音韻が近い〈世の中>に引き継がれて分裂してしまう。もともと素直に考えれば太陽はかならず毎朝東の空から上ってくるのがその本質なのだ。それを陰陽師や暦学博士が「日食・月食」を言い立てて庶民からオテントウサマを取り上げようとして天皇家の祖を太陽においたのだろうが、どこまでいってもオテントウサマは庶民のモノであって、庶民から取り上げることはできない。天皇家の祖がアマテラスであることは、アマテラスが天皇家だけの祖であることを演繹しない。庶民の祖もまたアマテラスであって一向に構わないのだ。
   昔学校の歴史で卑弥呼と日食の話が出てきたけど、あれは陰陽師などの姓(かばね)の陰謀の渦巻く宮廷政治の一コマを全民衆が共有していたかの作り話だと思う。庶民は日照りが続けば心配になり、洪水を恐れはしたけど、オテントウサマが昇らなくなることがあるなんてツユほども、ツイとも考えたことはないと思う。それは今でも変わらない。庶民にとっては昔も今も、太陽は「繰り返される身体経験」の原初なのだ。
   未だ酒の味も、子作りの何たるかも知らなかった猿の中の変わり者が「日の出」を待つようになったり、「夕日ってきれいだな」とかと思いはじめた。それが「お日さま」なんだと思う。だから「アマテラス」の本当の意味は「已然と未然という時間」の発生だ。当然その時間を支えるのはヒトの「衝動以上の欲望」の自覚である。その衝動以上の欲望を統率するものこそが天皇家の祖だったはずだ。つまりはシャーマンだ。そして統率の第一は「已然・未然」の本質を理解することからはじめなくてはならない。
 このことは学校文法が「過去・現在・未来」の時制を教えて、「已然・未然」を教えないという現状が、子ども達の知性の発達にとって由々しき事態であることを示唆する。なぜなら「過去・現在・未来」という書き言葉文法の習得の前に、話し言葉文法の核となる「已然・未然」の概念がなければならない事を教育関係者が深刻に認識していないことをさらけ出しているからである。「已然・未然」は動詞の活用においても取り上げられてきたが、「もう・まだ」という音韻語彙によって日本語では十分に表現できる。但しそのときの動詞活用形は「テイルi形」と呼ばれるものに限られる。これは日本語文法では連用形の音便形として一段劣った日本語とされている。だが、そうだろうか。「テイル形」こそが、神代からつづく由緒正しき日本語なのではないだろうか。翻って、「音便形でない正なる連用形」こそが、書記日本語の中で新しく獲得された形式なのではないだろうか。(『山の神』−山と森− の記事を参照)


  話をもどすと、古事記は「人為」として「食品保蔵」「子作り」「鉄器の生産」の三つを重視したということだ。だから「スサノヲ」は杉の林を作ったとか、などの逸話により、力仕事全般へのかかわりが語られるのである。だが一方でアマテラスとの逸話からは、第一に「男性の野蛮性」の象徴として、ここにおかれた存在である。イザナギによって男性正位が確立された後に、生産力だけは増大したが、一方でどうしようもないのに、力だけは飛びぬけて「ツヨイ」男が登場した。これが「古事記・上巻」の最大のメッセージである。女嫌いの道学者たちには触りたくない古典だったのは無理ない。もちろん、それでもこのどうしようもない「ツヨイ男」「泣き虫男」だけが日本庶民の男の理想であり続ける。現在でも、ヤワナ男、漢字を並べるだけの男、キンキラキンに飾り立てた男など何の魅力もない。やっぱり「フーテンのトラさん」にはどんな男もかなわないのよ。


   最後に、「度量衡概念の推移」について考えてきた私にとっては「タカムスビ」と「ツキヨミ」の関係が一番面白い。現在の私達は月とは無縁の生活を送っているからわからないが、昔の人にとっては「満月=大潮」だったのだ。つまり「水が隆起する」ということが月の特質の第一だったのだ。「隆起する」とは「伸張する」であり、「沈潜する」の反対だ。「アマ・オモ」という母音屈折対〈お・あ〉ルールを開発した当時の先端知識人にとっては「アマ・オモ重」とは異なる原理を意味したのは当然だ。だから「アマ・太陽」と定めるなら「タカ・月」を明確にする必要があったのである。だがこの認識は当時の大衆(一般とはいわないが宮廷人の多く)には共有されていなかったようで、古事記ではさしたる逸話もなく終わっている。
  この意味を本当に理解した中世以降の最初の日本人は信長であろう。かれは宣教師から地動説を聞いたときに「太陽・月」が「アマ・タカ」に対応すると同時に、「力ベクトル」によってこの二つは一つに統合されることを見抜いたのに違いない。そこから武士政権は天皇家が大好きだった「大・オホ」や「みかさ・御重ネ」に代わって「鷹・タカ・嵩」を自らの権力シンボルとして採用したに違いない。
  だがそれにより「タカ=イノチの伸張方向」という素朴な生命賛歌は音韻表象を失うことになってしまった。代わりに紋所には「草木」が使われ音韻ではなくビジュアルに日本人はイノチ、それも動物ではなく青人草としてのイノチ観をはぐくんで行くことになった。もちろんこの傾向は決して信長の発案に拠るのではなく、記紀を書いた人々の中で本当に「始発の三柱神」の象徴的意味を理解していたエリートによって主導されてきたものである。イノチも石も鉄も穀物も、全てを「くさ・種」として音韻の統一を図ったのは彼らであろう。私がそのことを初めて意識したのは今年の7月に「蛇と杖」「蔓と木」の項を書いた時である。だが今日まで「くさ・種」との関係には気がつかなかった。もちろん知識としての「くさ・種」という言葉を知らなかったわけではない。それでも今日まで結びつかなかったのだ。


  ようやく古田武彦high も終息しそうだ。アー、疲れた。
  最後っ屁で、思い出しておくと古田氏関連のウエッブでは、すごい剣幕で「偽書問題」が取り上げられているけど、もしも仮に「太安万侶」直筆の原本がみつかっても、じゃ、それだけが「正しい」とはならないと思う。古事記古事記なのはそれを日本人が読みついでは語り継いできたからなんだと思う。だったら江戸時代の人が「古事記」についてまじめに考えて書いた文書が見つかったら、それは本居宣長の「古事記伝」の参考資料としてすごく価値のあるものだと私なんかは単純に考える。


訂正 9月20日 「人為」として「食品保蔵」「子作り」「鉄器の生産」の三つを

  やはり「スサノヲ」は素直に「サス斧」であって、「鉄器の生産」のメタファよりは「力仕事」のメタファの方がいいと思えた。理由は、『The Da Vinci Code 』 で「ギロチン」の話が出てきて、それまで「死刑」に鉄を用たことはなく火あぶりか絞首刑だったという説明があったので、当然、記紀以前には「石斧」も通常兵器として通用していたはずだと考えたからである。ただ「よく切れる・切れない」という対比はあったと思う。だが「良く切れるササは石でも金属でも脆い」「さらに鉄ササは腐りやすく、臭い」というのが一般的な認識だったと考える方が素直だと考え直した。