月経血の歴史

    残念なことに番組名すら覚えていないのだけど、アフリカのかろうじて植物の蔓で作ったT字帯だけを身にまとう部族の少女を追ったドキュメンタリーを見ていて、びっくりしたことがあった。少女は月経の時は特別の植物でT字帯を作ることになっているので、その植物を探して2.3日歩き回り、その蔓を見つけると、今度は石でたたいて柔らかくし、吸水性をあげるためにかなりの時間を費やすのである。
    その時、さらに驚いたのは出血量の少なさであった。子宮内膜がでて終わり、という感じだった。これなら確かに植物の蔓一本でまかなえる。
    私などは、戦時下の物不足のの時に女性達はどのようにやり過ごしていたのだろうかと時々想像していたが、知り合いの年長の女性は爆撃の恐怖のともなう学徒動員で栄養失調状態の時は生理はとまっていたそうだから、そういう不安はなかったわけだ。つまり月経血は余剰物の排泄という面をもっているし、「血」とは、長い人類の歴史ではそういう位置づけもあったのだろう。すぐ連想できるのが20世紀の初頭まで広く行われた瀉血療法。あるいは献血を痩身の手段と考えている女性も私の身の回りにはいた。
   そうであれば、過剰栄養に悩まされていないアフリカの少女の出血量が少ないのも合理的なシステムだということだ。そうすると反対に多月経血の問題が発生した理由も想定できるようになる。

もちろん、過剰栄養と運動不足が原因だ

   とすれば歴史上、そのような境遇になった最初の女性は専従シャーマンであろう。卑弥呼のように人々の目から遮断されることで成り立つ職業では運動不足は必然だ。そして見返りに食物だけは恵まれていただろう。
    そこに神との通婚のようなビラビラがつけば、毎月、派手に出血することがシャーマンとしての威儀につながっていったのも理だ。その後にシャーマンの地位が転落し、男性支配を貫徹する手段として逆に月経血の忌み化が強力に推進されていった、という筋書きは、そう突飛ではないと思う。