「通鼻音・ん」と「音便の訛音」

  ここまでくると古田武彦 high というよりは「その余韻」に近くなってくるが、幸田露伴の『音幻論』の存在を知り、ついでに『「の」の音幻論』という1948年生の人の本を手に取ることとなった。その中の通鼻音,すんわち「ん」の歴史がとても参考になった。

通鼻音・ん ;両唇閉鎖または舌と歯茎か懸ヨウ垂とによる閉鎖によって、呼気を鼻腔へ流出させることによって生じる。

「ん」と「む」の戦い;上田秋成本居宣長の論争書『阿刈葭(カガイカ)』
  小林秀雄が論じた「日の神」の部分は後段の部分で、前段に「ンとム」についての激しい論戦が行われている、という。その冒頭二句を引用するが、私の昨年来の広辞苑にでてくる「音便」に対する疑問が氷解した。

秋成 ;音インを主とする西の国(中国)にすら「ん」と呼ぶ一定の字がないなのは、それが音ではなくインだからだが、日本にあるのは上の言葉との連声によって「ん」の音が自然に生まれたものであり、それに牟や爾や毛の音をあてたのだ。
宣長 ;連声による「ん」音は中古以来の音便のくずれにすぎない「不正の音」である。自然に生まれた音と言語音は異なる。

    秋成の言っていることを私なりにまとめると、「かな正字音」だけでは日本語は成り立たないと言うことではないだろうか。宣長が言うようには47正音以外を全て「音便の訛音」と決め付けることは理論的に無理だと秋成は直感したのであろう。
   宣長が言っているのは「正字音む」であって、平安時代に「ひらかな47音」が「正字音」と定められたわけだが、これにより多くの音韻(たとえば、g、z、d、p、b)が「正字音」ではないとされた。だが、濁音が「正字音の崩れ」とまでいう現代の日本語学者はいない。では、「p、b、f」は、どうだろう。〈アッパレ〉〈アバレ〉〈アワレ〉を〈正字音アハレ〉の崩れという人も居ないが、それらの関係を明示した記述にも出会ったことがない。不思議なことだ。何故なら〈アハレ〉は〈モノ・コト〉と並んで古代日本人の思想史を解明する重要なキーワードだからだ。さらにもっと恐れ多い〈ニッポン〉は〈ニホン〉の崩れなのだろうか。方言という便利な解釈だけでいいのだろうか。
     私はそこに「正字音」以前にあったはずの「正唱音」を仮構しないと日本語の成り立ちは見えてこないと思う。つまり「音便の訛」と思われる音こそがかつて正音として正唱されていた「正唱音」だということである。そうしないと古事記によってはじめて日本国と日本語が成立したことになってしまう。それから漢字を排して「かな正字音」を確立したのが平安時代となる。だが、古事記を著述できる体制の前に音韻の統一が行われ、それが一定程度定着していたと考える方が理にかなっている。
  もちろん上田秋成本居宣長も宣教師がローマに送った日本人のありのままの日本語の音声記録を直接には見ていない。だが、両人ともキリスト教が日本に残した思想的影響下で真剣に思索した人たちであったはずだ。高度な西洋数学に感心した関考和や宣教師の使っていた暦の方が精度がいいことを知っていた将軍吉宗と同じに。だったら、西洋の歴史学や音韻学の考え方もある程度伝わっていたはずだ。とすればシッタン学経由ではわからなかった点も多々わかってきていただろう。だからこそ古事記の「正しい」読み方と、それと一体となった「正しい」解釈の必要を本居宣長は感じたに違いない。それにより日本人のアイデンティティを確立することが喫急と感じていたにちがいない。一方の秋成はそれが「かな正字音」への還元であるところに無理をみた、ということであろう。

■「音便の訛音」
   江戸時代に急に日本人が〈p、b、f〉を使わなくなって、〈h〉音になったというのが日本語学の共通理解のようだが、室町時代に宣教師による表音表記が文書として残ったから、それが言えるので、それまでも正字音は〈h〉だったけど、実際には〈p、b、f〉が多く使われていたのに、江戸期になって識字人口が急増して〈h音〉が普及したと考えることも出来るはずだ。
    私が勤めていたオフィスの近くに〈きやうはし〉という橋の名前が刻まれた石柱があって、越川禮子氏によれば〈キョウバシ」と言うのは田舎者で、訓育によって江戸っ子は〈キョウハシ〉と言えるようになっていったということである。当然「田舎者」は〈イナカモン〉と自らをヘリ下し、江戸っ子は〈イナカモノ〉と言って軽蔑したのであろう。それは崩れではなく〈無知〉と〈訓育〉の差であり、〈いいやすい音節音〉と〈かな文字により日本人が自らを訓育してきたモーラ音という名前の人工音〉の差でしかなかったはずだ。
   そういう意味では宣長が「万物の音と人の音は違う」と言うのは正しい。音声や音韻は今風に言えば土木建造物とおなじ artifact なのである。だが「音便の訛音」と言った途端、通時言語学のとらえ方になってしまうのである。だが厳密に通時言語学の立場にに立つためには記述正史の前に口述正史を仮構しないとおかしくなるのである。それが47正字音だけで語られていたのでなかったとすれば、口述体の正音はもっと多くてもよろしいことになる。それは「音便の訛音」などではなく、神代から伝わる正調日本語の音韻ということになる。
    ここまで書いてきて、もう一つ思い出しておくことがあった。会社に江戸時代からの相模国は秦野の百姓の出自だという人がいたのだけど、ある時、私が〈ハタノ〉といったら、すごい剣幕で〈ハダノ〉って言い直せ、と怒られたことがあった。その人によると、都会風にすれば地価が上がるという薄っぺらな鉄道会社の陰謀で駅名表示が〈はたの〉になったので戦っている最中なんだとか。・・・・。そういえば近年開通した渋谷近くの駅の住居表示は〈ふかさわ〉となっていた。だが高校時代その辺りから通ってくる友人は皆〈フカザワ〉って言っていたと記憶しているのだが・・・。江戸時代はあのあたりも一面、農村だったはずだ。いまでは超がつく高級住宅地だから「ふかさわ」がふさわしいのかも。
  まとめると。

47正音 ;47音だけの正音 宣長の主張
正音47 ;正音の中の47音 ;秋成の主張


備忘録として
■いくつかの「五十音」考
・東西伊呂波短歌評釈;幸田露伴;一部地域でしか文頭に来ないので欠落
・新作いろは加留多;坂口安吾
・詩「五十音図」;谷川俊太郎

■いくつかの字源論
幸田露伴;牟の上の「ム→ん」」
・「阿吽;うん→ん」