〈シュメール文明〉と〈シュメル文明〉

  川崎真治という在野の歴史言語学者1921年生)がいる。本人が言っているのだが「ドリルという方法」によってシュメール語から古事記を読み解いている。うれしいのは大野晋先生のタミル語についての作業にも敬意が払われていることである。ただし、シュメール語もタミル語も解しない私は両者の筋に厳密にはついていけない。
  ただ、この人の用語の使い方は、広辞苑の〈音便〉と〈母音交替〉に比べてわかりやすいと思った。それは〈屈折〉という語である。動詞の4段活用は〈母音屈折〉だし、「アッパレ」「あばれ」「あわれ」「あはれ」のように〈子音〉だけが変化して、それが意味の対立を伴っているときは〈音韻屈折〉という。
    意味の対立をともなわない〈あまおと・雨音・あめおと〉をどう呼ぶのかまでは書いていなかったが、私なりに解釈すればそれは「ブレ」とか「振れ」とか言うべきだ。もちろん私的に言えば〈きょうばし・京橋・きょうはし〉、〈はだの・秦野・はたの〉、〈ふかざわ・深沢・ふかさわ〉、全部「音のブレ」に過ぎない。目くじら立てるほどのことではない、ということだ。
    「音便」の方だが、広辞苑では子音が脱落して促音や撥音になった現象だけしか記述していない。これは「音便の訛音」という宣長以来の概念にとらわれているからである。だがここでは「介入子音b」「縮音」「子音n架上法」というのが出てくる。「シュメル語」では〈b〉しか介入できないように書かれているが、古事記前後の日本人が〈b〉以外の子音を介入させるという造語法をを創案した蓋然性は0である、とは言えない。とすれば、従前より私が仮構してきた「連用音便形が動詞の祖形」という仮説も有力になる。「縮音」「子音n架上法」は〈あま・マナ〉の逆語序を合理化してくれる。


 
  ということはさておき、川崎氏の著書に当たるため都の図書館に行ってきた。すると書棚に上記の「シュメル文明」という本があり、中をみたら三笠宮殿下の推薦文があって、さらに題名の解説が驚きモモの木だった。
   明治時代に〈Sumer〉を〈シュメル〉と表記したら、恐れ多くも〈スメラミコト〉の〈スメル〉と「音が似ていて怪しからん」という論難がわきおこり、〈シュメール〉という表記に統一したのだそうだ。だから今後は〈シュメル〉と言うようにしたいという著者の思いは尊重されてよろしいと言うことだった。
   そうであるならば、川崎氏が言うようには、古事記に出てくる神々の名がすべてシュメル語で読み解けるかどうかはわからないが、以下の対応は頭の隅に入れておくべきだと思った。

[supreme] [super] [スペル] [すべる] [すめる] [すめらみこと] [天皇] [みかど]
[pillar] [ピラー] [ひらー] [hひら] [はしら] [み柱] [神] [かみ・かむ]