本の題名ー〈そこぢから〉

  ここ数日で二回も音韻〈そこぢから〉に出会ってしまった。以下である。
①泉幸男氏の『日本の本領(そこぢから)』
農文協の広告見出し「江戸時代の底ぢから」

     ①の方はかなり思い切った読み下しだと思ったが、首相の書き下ろし本の題名が「美しい国へ」というきわめて static な表現しかゆるされない思想状況の中で意地を通すとすれば static な二字漢字語〈本領〉を用いつつ、力動そのものである〈そこぢから〉と読み下すしか方法がなかったのであろう。
     現在も教育改革が取りざたされているが、一昔前の「生きる力」をかかげた日高 敏隆氏に対し、文科系の大御所が噛みついて大騒ぎになった事件を思い出した。結局、「生きる力」とセットだった「ゆとり教育」は完膚なきまでに失墜敗北したわけだから、言霊は怖いものがある。商業的な観点からはひたすら static な二字漢字語でやりすごすのが無難なのだろう。
       というようなことを考えていたら②の見出しが目に飛び込んできた。今度は「正書」の方から「おや!」と思ったわけだ。たしかに最近の見出しは二字漢字語だけというのは少ない。なんとか4文字以上にしたかったのだろうけど、濁点が許されるのは二語の連結が前提なのだから、前半は漢字で後半だけが平仮名できて、その語頭が濁音とくるとちょっとひるんでしまう。それでも安藤昌益の全集を出してる農文協にふさわしい用語選びではある。

    それでもやっぱり、「生きる力」から伝わってくる dynamicさに比べれば、「そこぢから」という訓読み二字漢字語はまだまだ静的な世界の言葉だと感じる。和辻のいう風土に十分なじむ言葉である。そこに名詞と動詞の決定的な違いがあるのだと感じる。そして〈名詞・形容詞・動詞〉が明治に作られた3点セットの二字漢字語であり、それまでは「体と用」という二元世界でしか日本語は分析されてこなかったことを思い出した。