音幻;料理名

以前、〈すりゴマ〉には〈あたりゴマ〉という別名があると書いたが、料理名こそ〈偉・い・異〉の世界であることを思い出した。列挙してみる。残りは、『美味しんぼ』を読破すればもっと事例が集まると思う。(鍋についての薀蓄は同じ話に出ています)

〔武器メタファ〕 〔匠メタファ〕 〔動作メタファ〕 〔擬え〕
〔あたりゴマ〕 〔すり鉢ゴマ〕 〔練りゴマ〕
〔刺しみ〕 〔おつくり〕    
〔鉄砲漬け〕      
〔はも・刃物〕 〔ウ壷〕
「うなぎナタ] 〔白焼き〕 〔蒲焼〕
〔てっちり〕 鍋物

       
   ここで考えたいのは〈ハリセンボン〉と〈センロッポン〉。広辞苑によれば〈ハリセンボン〉は海産の硬骨魚で体表は鋭く長い針でおおわれ、ふぐ提灯などの飾り物にする。山陰北陸ではこのさかなが北西風で浜にうちあげられる12月8日も特に指すとある。一方〈センロッポン〉は、当て字が三つあがっている。①繊羅葡ー羅は草冠 ②繊六本  ③千六本。
  〈羅葡ー羅は草冠〉は中国語で〈大根を細かく刻んだもの〉とあるから、①は耳から聞けば〈羅葡・ロポウ〉をさらに細く線のように刻んだもの、と普通の人は受け取るはずである。つまり何のことはない、田舎料理の〈ハリハリ漬け〉の細かいversionである。そういえば京都風の「おなます」は細く刻みすぎていて歯ごたえが全くなく、田舎者の口には合わないのだった。
    ここまでは広辞苑からの音幻だから、こんな程度であろう。ところがたまたま手にした日本語の薀蓄本、といってもちゃんとした大学の先生のかかれたものに〈センロッポン〉の詳細な解説が載っていて、それを読めば読むほど日本語は高尚でむずかしくわけのわらないものだという気がしてくる。さらに恐ろしいことに戦後教育で育った私などが、まったく考えもしなかった、こういった類の薀蓄だけを、広辞苑明鏡国語辞典は〈正統な唯一の日本語〉として我々に注入しようとしてくるのである。理科教育で〈大きさ=重さ〉という愚民化教育が行われているのを見て、国語教育もおかしくなっていないはずはないと思っていたが、やはりこういうところに端的に出ているのだった。

   事実はこうだ。料理法の〈せんぎり〉をひくと漢字は二つしかあがっていない。①繊切り ②千切り。 だが『漢字源』では、〈繊;細かい糸〉〈線;戈(ほこ)を二つ重ねて切ったり削ったりして細くすること〉とある。当然料理法なら〈線切り〉となるはずだ。現実の世の中をみても〈繊〉の字がなくて困るのは〈繊維業界〉くらいだろう。それは〈維;丈夫で4天を支える綱〉と〈繊;細くたおやかな布のもと〉とで、対照的な概念を表現しているからだ。多分私達の小学校時代は〈繊〉は当用漢字ではなかったのが、最近当用漢字になったのであろう。
   それを期に〈線切り〉追放運動をした学者文人がいたのであろう。ちょうど〈重さ〉追放運動をした人たちがいたように。前者は京都のお公家さんのお宝だった文字資料を盾に国語審議会を篭絡し、後者はグローバル化を錦の御旗にして脅迫したのであろう。その両者に結託されては国語審議会などトロイの木馬になすすべなく降参した人たちのようなものだ。
     こういう愚民化圧力から逃れる方法は音韻イメージを大切にすることだ。漢字はそのイメージを支えてくれるものを選んで使うことだ。語源ではなく昔の祖先の生活、つまり人間関係や気持ち、そして動作のありようをきちんと理解することだ。具体的にいうと例えば〈はり〉。これはもともとは武器だったのだから細ければ上等というわけにはいかない。太くても丈夫なら、それもいいわけだ。だったら〈はりはり漬け〉は細く刻んだ大根だけが上等というわけではない。
    そういうイメージは〈センロッポン〉の隣に〈ハリセンボン〉を置いて自分の記憶を再編成していけば簡単に出来ることだ。語源を考えるならまず民間に普及している〈ハリセンボン〉から出発すべきなのだ。私なども子どものころ約束を破ったからといってどうやって相手は〈針を千本〉も持ってこれるのか不思議に思いながら指きりげんまんをしていた。今回はじめて広辞苑をみて〈ハリセンボン〉という魚が実在していることを知って大感激だ。
    そしてそこから今度は〈細い針が千本〉という〈細いものがたくさんある状態〉をイメージしていくことは人々にとって容易なことだ。そこから〈細く切ること〉を強調する言葉として〈線切り〉とか〈針千本に切る〉という慣用句がうまれても不思議はない。たまたま中国語に〈羅葡ー羅は草冠〉という言葉があり京都のお公家たちがそれに当て字をしたものが文字資料として残ったのかもしれないが、茶道に無縁な人たちにまで広がるはずはない。
     〈センロッポン〉という不思議な語彙は調べれば、〈アホ〉地域の中のさらに限定された地域にしか広まっていにないはずだ。お公家といっても、持統帝のようなパワーのある天皇の側近ではなく、13世紀以降の実態のなくなった帝の周辺にいた定家のような人々にしか広まっていないはずだ。まあ、京都中心史観の残り火の牙城である茶道会席料理の免状が嫁入り道具だった世代にはかろうじて残っているだろうが、それだけだ。
   〈細い〉〈細かい〉は〈重い〉〈大きい〉と同じくらい重要な対語のようだから最後に整理しておく。

[ささめ] [細・細] [さざれ]
[ほそい] [細・細] [こまかい]
[ほそい] [細・小] [ちいさい]
     
[せん切り] [千繊・微塵] [みじん切り]
[せん切り] [線・霰] [あられ切り]
[ぼう切り] [棒・乱] [らん切り]
     
[指でちぎる] [千切る・契る] [指をちぎる] [指切りゲンマン]
[指でつぶす] [潰・潰] [指をつぶす]
[手でちいさくする] [丸める・縮める] [手を小さくする]
[岩に線をほる] [刻・きざむ・刻] [岩を切って細かくする]
     
[つむぐ以前の毛] [繊・線] [削って細くなった物]
〈せん切り〉の漢字は〈線〉に戻すべきだと考える。