音幻

  以前、<コノハナサクヤヒメ>を逆接によって decoding したとき <鋸・罠・くさび> となって、それなりにおさまったとは思ったのだけど、<罠・花>の取り合わせの意味がわからなかった。諜報戦の世界では暗号は一見して暗号でも機能するが、世俗では暗号は暗号とは分からない形で流通させなければならないわけで、<罠・花>の必然性がなければ神話を解読したことにはならない。それがひょんなことから読み解けたので、報告する。
   謎は 解ける前は謎だが、解けてしまえば答えはなんということないものである。それで答えを書く前に、<罠・花>の関連付けが難しかった理由をまとめておく。それは正字<は行>の担っている内実の多層性にある。それを列挙すれば以下である。
正字<は行>
  ①清音<は行>は<濁音ば行><半濁音ぱ行>を隠している。
  ②<濁音ば行>は漢字を介して<ま行音>と密接につながる。つまり価値と時空間の象徴性を担っている。

<場ば・ま間><び美み><ぶ武む><べい米めい><ぼこ牟もこ>

  ③数<ひとつ><ふたつ>に代表される量概念の重要な象徴である
  ④人称<ひつ匹><ふつ太>に代表される人間関係を象徴している
  ⑤日子、媛 など最高位の人々の象徴
  ⑥<あほ鴉暮やぼ><格助詞は・わ>などのように<わ・や>の有声子音を正字<あ・は>に書き付けた可能性が高い
  ⑦用言の活用も⑥と同様に<わ・や>の有声子音を正字<<あ・は>に寄せている

では、いよいよ謎解き。
   以前にもふれた『森浩一対談集 古代は語る』で小泉武夫氏が<灰>について述べている。灰は酒造りにも欠かせないが染物にも欠かせないのである。それも中国朝鮮から金属媒染法が入ってくるまで藍染も紅染めもアルカリ発色に頼っていたのである。だから縄は罠の材料であると同時に灰の材料でもあったのである。だから『花咲か爺さん』は<灰>で<花>を咲かせたのである。あれは<灰>によって鮮やかな発色が起きることのメタファを利用した物語だったのだ。従って音韻<コノハナサクヤヒメ>は以下の二面性を持つ。   

表意   [コノ] [花の] [咲く] [(ように華やかな)] [媛]
音韻   [コノ] [ハナ] [サク] [ヤ] [ヒメ]
含意   [のこ鋸] [なわ縄] [くさ楔] [や矢] [毘メ]

     上のように音韻をmetaphoricalに読み解くことで、古事記哲学書にも修身書にもなるのだ。<コノハナサクヤヒメ>とは<花←色←灰←草>という自然の推移を教える教材でもあるのである。なにより既に入ってきている仏教の輪廻が実際に生活している人々には伝わっていくのだ。

<華←色←灰←草>
<花→種→草→灰>

    さらにいえば、この条は何故人間が死ぬようになったのかを説明する、聖書でいえば〈アダムとイブ〉に相当する条なのである。そして〈コノハナサクヤヒメ〉とはその貞節を疑われ、死をもって身の潔白を証明した、〈腹は借り物史観〉の成立を祈念するヒロインなのである。それが〈石長比売〉が醜かったので追い返してしまった〈ニニギノミコト〉の失敗談に還元されていいはずない。
   『古事記 上巻』は、<腹は借り物史観>に凝り固まった男たちの権謀と論功の書には還元されえないのである。それは虐げられた者達のpoemであり、それがそのまま辞書になり、さらには言葉の多義性、文脈依存性を教えていく教材にもなっているのである。上のdecodingを知っていれば小野小町の有名な歌もまた別の解釈が可能になる。

伝承歌 花の色は うつりにけりな いたづらに 我が身世にふる ながめせしまに
推定元歌 花の色は うつりにけりな いたづらに 我が身四幅ふる ながめせしまに
推定解釈 華の色は うつりにけりな。 私はなんにもしないで四幅を振りながら染めている人を眺めていただけなのに。

    推定元歌により、美人がみにくく老いさらばえていくのを気味よく思っている<腹は借り物史観>の男たちの解釈とはまた別の意味が浮き上がってくる。もちろん持統天皇は自ら機を織ったようであるが、『新古今集』の頃のお姫様は布を染める現場などきっとご存じなかったでしょう。小野小町はそういう脳天気なお姫様たちとはちょっと違っていたのでしょう。だからリアリティのある歌が読める美人だった。きりきり舞いさせられた男もいた。それを隠すためには〈の→に〉の写し間違いだけで十分だったのです。それが無知ゆえの写し間違いだったのか、意図された本歌取りなのかは、今となっては白黒はつけがたい。だけど〈ふるの両掛〉という説明よりは推定元歌の方が現代人には分かりやすい。


■〈flower・花〉と〈flour・小麦粉〉
   上の二つは意味は違うが音韻は似ている。『ジーニアス英和』をみると原義は〈最良部分〉とあり、さらに〈flower〉の方が本来の綴りとある。だが日本語同様、このような原義の説明では何の想像力も刺激されない。〈コノハナサクヤヒメ〉でやったように〈花・はな・華・灰による発色〉を介すれば原義探索とは歴史探索なのだということになる。
    さらに英語の〈ash〉を調べていくと面白いことがでてくる。まず〈ash・灰〉。これは日本語でも〈灰・あく〉でるから、それなりの意味の対応が得られる。ところが、〈あく〉の現象語〈えぐい・えぐみ・えぐる〉は英語〈wash・winkle・hollow〉と対応する。現代での頻出語〈苦い〉は〈bitter〉である。英語では、いずれも〈語頭半母音〉なのである。興味深い事実である。
  ところが〈ash〉にはもう一つ別の意味があって、〈トネリコ〉と出ている。私の語彙にはなかったので百科事典を調べると以下の説明があった。
ゴルフクラブや野球のバットの部材→緻密で粘りがあるということだから設置型の弓にも適しているはずだ。
②日本では〈稲架木・はさぎ〉と呼ばれ、農耕に伴って日本に来たことが推量される
③モクセイ(木犀)科に属する。→〈犀〉という漢字を当てたということは〈角〉の代用品としても認識されていた可能性がある。
④日本でヒイラギと呼ばれるものはヒイラギモクセイで、節分の重要なメタファ。特徴は大きな鋸歯を持つことであるから、そのイメージは〈イバラ〉の隣に来るのでonomatopoeia〈いらいら〉にもつながっていく。(2007年1月2日 追記)


■音韻〈はい・わい>
   なお、少し前の民俗からは〈はい・わい>も導ける。最近の人にはわからないだろうが、私の子どもの頃までは東京の真ん中でも臭さ〜〜イ、バキューム・カーが街角でよく見られたものである。それは<シ尿処理>と呼ばれる公共事業だった。さらに、ここからは文字知識によるのだけど江戸市中では<おわい屋>と呼ばれる職業があって、竈からでる<灰>も引き取っていたのである。だから<灰・わい>は私の個人的かつ強引なこじ付けではないのである。(2007年1月2日 追記)