古神道の中核音韻〈ぼこ・ほこ〉ーその初

A、ぼこぼこ ニスル、ぼこぼこ ニナル
B、でこぼこ ニスル、でこぼこ ニナル
   日本語話者なら、AとBの違いはちょっと考えればわかると思う。Aは temporal な表現で、たとえ〈ばぼこぼこに殴られて〉コブだらけ状態になっても、そう長くない時間のうちに、また元のように平らになるらしいということ。Bの方は〈でこぼこ道〉のようにそういう状態が ずっと続いているというニュアンスがある。つまり、何かの人為が加わらないと平らにはならないことを意味している。
    そしてBの語彙が成立する前提に〈平らであることを基準にする〉という価値観が醸成されている。だから、その通念に従うと、B、の〈でこぼこニスル〉〈でこぼこニナル〉は非文となる。非文というのが大げさであるとすれば、〈平らニスル〉〈平らニナル〉に比べれば使用頻度ははるかに少ないはずだ。逆に言えばAの〈ぼこぼこ〉には〈平ら基準〉がない。これは今までの私の語彙使いから言うと〈現象語〉であり、〈でこぼこ〉は〈存在語〉ということになる。
     これを端的に表すのは両語の代表的な使用例である。前者は副詞で、後者は形容詞で使われるのが本来である。

・ ○ぼこぼこと殴った    △ぼこぼこ顔
・ ×でこぼこと〜する    ○でこぼこ道

   さらに、〈でこぼこ〉の方は漢字で〈凸凹〉と書けるが、Aは漢字をもたないことに注目しよう。つまり〈でこぼこ〉は普通の日本語だが、〈ぼこぼこ〉はonomatopoeiaである。ここでは詳述できないが私見によればonomatopoeiaは通常、擬音語・擬態語・活写語・象徴語などと訳されるがどれも正鵠を表現していない。原義の〈詩専用用語〉に立ちかえって意味を読み解けば以下のような定義となる。

[onomatopoeia] 公式言語とはならなかった民衆語彙のうち相聞歌や神への賛歌において気持ちを表現するのに必要不可欠な音韻

であれば〈でこぼこ〉の方が〈ぼこぼこ〉よりも新しい語彙だと考えることができる。以上、音韻からも漢字からも〈ぼこぼこ〉の方が〈でこぼこ〉よりも古層の語彙であると仮構する。
   ところが、一方では、語彙〈凸凹でこぼこ〉を獲得したということは、自然は力を加えなければ変形しない、ということを社会のコンセンサスにしたということである。これは逆から言えば傷が自然に治癒する現象や、大きな石が風化作用によって小さくなる現象や、毎朝太陽が東の空から昇る現象にも〈何らかの意志なり力が加わった結果〉だと考えるということにつながっていく。
だから、〈ぼこぼこ〉→〈でこぼこ〉という変化はすごく大変なことなのだ。何故なら、「和」の象徴のような平らでバランスの取れた状態に自ずから回帰するという単純にしてお目出度い日の丸万歳の単一世界ではなく、美しくない不快な凸凹が定常態として存在することを言語的に認知したということだからだ。

   しかもはっきりしているのは〈清音た>や〈清音ほ>以前に〈d,b〉といった子音でこういう概念が確立したと言えることである。これは先日〈駄目だめ・邪魔じゃま〉を基礎語彙中の基礎語彙と考えてもいいのではないかと言える例を見出したが、これは二例目となる。となると、もはや多くの国文学者が言うような〈語頭濁音は漢字の音韻から入ってきたもので、由緒正しいやまと言葉には語頭濁音はなかった〉などという説を信じることはできない。あえて、この説を合理化しようとするなら以下のようにやまと言葉を再定義すべきとなる。

やまと言葉とは語頭濁音語などを排除して成立した公式記述言語であって、実際の言語では、とりわけ基礎概念語は語頭濁音語は例外ではなく、機能していた。したがって文字資料に残されていないこれらの語頭濁音語を含む言語を、やまと言葉祖語と定義した上で、従来の日本語祖語研究とは一線を画した研究が求められる。」

   上の定義を援用すると やまと言葉祖語〈ぼこ〉がやまと言葉〈ほこ〉になったと仮構することはきわめて自然である。それが攻撃武具〈ほこ=矛〉であり、社の一つ〈ほこら祠〉である。一方〈でこ〉はそのままではやまと言葉には入らなかった。語系としては〈おでこ額〉〈でかい〉<ごてごて>がすぐ浮かぶが、それが〈盾たて〉という防御武具の名前に採用されて公文書に記載されるまでには時間がかかったといえる。つまり〈母音お〉の単一世界では語彙化されず、〈母音あ〉の本格的導入を待つ必要があったということだ。

    では日本史のどの時代に〈ぼこ〉は重要な概念となり、どのように意味機能を担ったのであろう。いくつかのヒントを列挙してみる。
①高千穂の〈天のさかほこ〉
    これが何時設置されたのかは、私には分かっていない。だがこの音韻の継承により、〈正ほこ〉が〈雌記号∨〉であり、〈さかほこ〉を〈雄記号∧〉と理解すべきことを教えられる。だとすれば〈正逆一如〉によって完全な〈輪〉が出来ることになる。この輪こそが〈祠ほこら〉の入り口の形であり、これにより古代神道における神の拠り代としての〈岩座いわくら〉とは全く異なる神の座所が定められたことになる。この完全なる〈輪〉は〈母音あ〉をもたない時代には当然〈ほこほこ〉という累音であったと仮構することは突飛ではないだろう。私自身はこのonomatopoeiaを使ったことはないが広辞苑には〈ほこほこ;気持ちよく温かい様〉とある。
    これは現世においては円墳や壷型古墳の中心を構成する横穴墓に比定される。これはもちろん母親の胎内の擬えであり、もう一つの重要な〈音韻くら〉と通底していくはずだ。そこから日本語の黒には〈温かい〉のイメージがあり、むしろ〈白〉の方が〈つらい〉イメージがあるという小町谷朝生氏の報告に得心できるようになる。古代の日本人にとっては闇は恐ろしいものではなかった。むしろ光にさらされる野原の方がきつくつらい記憶とともにあったということは古代を考える時忘れてはならないと思う。

②茅の輪くぐり
   現在まで伝わる〈茅の輪〉には二系統があるようである。一つは単なる輪を空中につるしたもの。他方は神社の鳥居の中に四角く輪を固定したもの。このことは、この国の歴史において円と方形の対立止揚が重要な概念であり続けてきたことと無縁ではないだろう。そのことをもっとも重視した人々が中国や朝鮮にはない壷型の前方後円墳を建設していった人々なのである。

三輪山の狭井社の鳥居
    ここで初めてみたのであるが、ここのは二本の柱に注連縄の〈正ほこ〉が渡してある形式である。生まれてから50有余年、直線で構成された鳥居しか見たことがなかったので、かなりのカルチャー・ショックだった。一千年以上、この形式を維持してきた人々がいるということは驚きだ。だがこれにより日本史をより多重に理解することが可能になる。仏教のマンダラは円と方で構成されるが、その前に〈直線・曲線〉の対がきちんと理解されていなければならないのである。
   ここにおいて高千穂の両刃武器型の〈逆ほこ〉はそれを支える山稜と対をなしてシンボルとして機能するものであることが理解される。となれば三輪山もその三角錐を構成する稜線の直線と、〈正ほこ〉の曲線の対をなすことが重要となる。ここにおいて二上山とは切り離されて三輪山単独でご神体として機能するようになったのであろう。それにより〈あわ・あや〉という二つの原理が象徴性を獲得できたのである。

④曲線のパワーと直線のパワー〈あわ・あや〉
    五十音図を見るたびに不思議なのは最後の二行〈わ・や〉だ。もちろん日本史を習えば絶対にこの行は無くせない。〈倭国〉〈聖徳太子と和〉〈やまと王朝〉〈ヤマトタケル〉が消えてしまうからだ。だが上のような認識は倒錯である。逆に、〈わ・や〉が音韻シンボルとして重要だからこそ歴史の重要事項に固有名詞として登場するのである。それは両音が〈曲線・直線〉の対立を象徴しているからだ。その代表が〈あわ・あや〉だ。
   古代語における〈あ段音韻〉からその言義を理解するのは母語話者にとってもむずかしい。だが〈お段変換〉と〈逆語序〉という二回変換をすることにより、語系がはっきりし、その言義が驚くほど明瞭になることをしばしば経験してきている。今まであげたおもな三つの語系は以下である

あ段 [あま・まnあ] [かさ・さか] [かた・たか]
お段 [おも・もの] [こそ・そこ] [こと・とこ]
漢字 [重思・物者] [圧力・底] [事言・常床]

    同じ変換を〈あわ・あや〉について行うと以下のようになる。

漢字 [粟・罠] [文綾・簗]
あ段 [あわ・わな] [あや・やな]
お段 [おを・をの] [およ・よの]
漢字 [物の多さ・斧] [及ぶ/泳ぐ・四幅]
メタファ [大・楔種草] [距離・長い布 ]

    両語系の基本概念が〈曲線・直線〉にあることがお分かりいただけると思う。そしてこの音韻の時代にはまだ、正方形の枡は使われず、〈椀わん〉で計量していたであろうことと考える。〈ます枡〉の本格的導入はその後の音韻〈あま〉の導入を待つ必要があったはずである。それは先にあげたように〈あまねき世界〉に関する音韻象徴を確立し、〈枡〉を軸とする量体系の整備が完了した時代となる。
    広辞苑では〈度量衡;長さ、容積、重さ〉〈度量衡;尺、枡、秤〉と説明する。確かに日常用語では隣の村までの距離は道のりの長さで表現するからこのような説明で問題はない。だが谷の向こうの村と谷沿いの離れた村の二つについて道のりが同じだからといって、同じ近さだと認識するだろうか。古代においては通行は多大の労力を要するものだったから、その二つは厳密に区別されていたはずだ。だから〈度=長さ=尺〉なんて乱暴な空間認識は持っていないなかったはずだ。とりわけ弓矢のような飛び道具をもった文明にあっては距離と道のりは厳然と区別されるべき概念であり、量であったはずだ。
    さらに日本人の論理性は、見えるけど触れえないもの、見えていてさらに触れえるもの、の二つの区別に敏感だったはずだ。それが時間の長さなのか、道のりの長さなのか、声や狼煙の届きにくさの距離なのか、はたまた織物の長さなのかを識別する語彙を持っていなかったはずはないのである。〈度量衡〉とはまずもって支配者のための支配者による支配の要だったのだ。けっして分業システムの中で言われたことだけを繰り返していれば良い奴婢や汚い力仕事はアヅマテラスの一群に任せて歌読みさえしていればよかった殿上人のための語彙ではなかったのだ。
    だからこそ、曲線の長さと直線の長さを区別することを知ることが文明がはじまりであり、その後の直線メタファの枡の登場が、椀による計量よりもはるかに進歩した文明の象徴として人々に強く印象づけられていったのである。その時代の化石のような音韻を〈あや・およ〉によってとりだすことができたのである。
    当然〈あや〉を知った人々は今まで何にでも使っていた〈わ・を〉を〈心地よいもの〉の象徴として再使用しながら〈力〉の象徴として〈や・よ〉を使い込んでいったのである。それは旧文明のうち引き継ぐべきものを〈わ・を〉とおき、新しさや権力を象徴するものに〈や・よ〉を割り当てて造語を行っていったということである。さらに後世には〈あまねきのま行〉を取り込み、用言の活用の萌芽のような造語法も多用されるようになったはずだ。主なものを列挙しておく。中には〈わ・や〉の関係はわかっても両方とも卑語に落ちている語もあるのは歴史の必然である。

合計量わ 和する 倭の国 炒り火 わな われ我 湧く井 庭にわ あわてる わかる 糸の環 くるわ
最大数八 八の的 やまと 焼い火 やり やつ奴 焼き炉 薮入り あやめる あやす 綾取り 駅家

⑤〈ほこ〉から〈はか〉へ
    音韻〈ほこ〉は現在にいたるまでonomatopoeiaとして引きつがれている重要な音韻であるが、それゆえ多義的である。当然一つの語彙には一つの語義をという要望も生じてくるはずである。それを合理的に実現する方法が〈あ段変換〉〈逆語序〉〈清濁対〉である。試してみよう。

漢字 [墓・皮] [ー・ー]
あ段 [はか・かは] [ばか・かば]
お段 [ほこ・こほ] [ぼこ・こぼ]
漢字 [祠・五保] [水の泡・こぼれる]
メタファ [誇り・郡] [埃・こおり氷柱 ]

    onomatopoeia〈ぼこぼこ〉の第一言義は広辞苑によれば〈水の音、泡のさま〉とある。歴史のどこかで〈皮→川〉が生じたのである。あえて民間語源解を述べれば、土葬の時代には特殊な処理をした高貴な人の墓に残るのは皮であったが、庶民では腐乱状態という液状化を経たのである。どこかの時点で〈皮;液体;川〉という連想が社会に共有されていたのであろう。それを支えるのが〈語系〉である。