音韻〈くら〉

  吉野裕子氏は『隠された神々』の中で<穴>を意味する日本語として<洞ほら><胎はら腹><室むろ窟><洞かま釜><くぼ窪>に加えて<くら>をあげ、<くら>の原義をV字型の<正ほこ>と推定している。さらに古事記など、神々の名に<くら>が頻出することを『扇』『日本古代呪術』で詳述されたと述べている。
  このうちonomatopoeiaを形成するのは<くら><はら>である。<ほこ><でこ>と一緒につくてっみよう。

[くらくら スル] [くらくら ニナル] [くらくら ニスル]
[ぐらぐら スル] [ぐらぐら ニナル] [ぐらぐら ニスル]
[はらはら スル] [はらはら ニナル] [はらはら ニスル]
[ばらばら スル] [ばらばら ニナル] [ばらばら ニスル]
参考
[ほこほこ スル] [ほこほこ ニナル] [ほこほこ ニスル]
[ぼこぼこ スル] [ぼこぼこ ニナル] [ぼこぼこ ニスル]
[でこぼこ スル] [でこぼこ ニナル] [でこぼこ ニスル]

  自画自賛するわけではないが大変興味深い結果となった。subjectの感情・感覚を表現するのが三つ。objectについての表現が一つ、得られた。

subjectが [くらくら スル] [はらはら スル] [ほこほこ スル]
器官 [三半規管] [こころ] [皮膚]
objectが [ぐらぐら スル]

    社の三つの形式<くら><ほこら><やしろ>のうち最古の形式が<くら>とされているわけであるが、onomatopoeiaから見ても妥当な結果となった。それは〈onomatopoeia+スル>というもっとも単純な形で subject と object についての認識が可能になるからである。その両表現の関連性も明確である。

それは激しい揺れ、すなわち大地震である。

    何かがグラグラし始めて、おかしいなと思っているうちに激しい揺れで頭がクラクラしてくるのである。もちろん太古においては両音韻は未分化であったはずだが二千年以上にわたって清音を獲得する努力の結果がこのような語彙への分化となったのである。だからこそ地震にもビクともしない大きな岩が〈いわくら・岩座・神の座所〉のメタファとなったのである。
    注目したいのは、音韻〈ぐらぐら スル〉には〈おかしいぞ!〉という感情がすぐ裏に見えることである。ということはこの段階で〈ぐらぐら シナイ〉が基準として形成されていることを意味する。これを二字漢字語〈静止〉から一字とって、〈静か基準〉と名づけたい。以前に提出した〈平ら基準〉と合わせて、やまと言葉祖語を研究していく上で重要な二つの基準が取り出せたのである。それは物理概念と関連づけるなら二つの平衡に帰属できる。

基準 [静か] [平ら]
物理的意味 [垂直平衡] [水平平衡]

   さらに上の三つの語がどのようなメタファに形成されたかを比較してみよう。

subjectが [くらくら スル] [はらはら スル] [ほこほこ スル]
器官 [三半規管] [こころ] [皮膚]
メタファ [暗い] [腹がたつ] [誇り]

    三半規管という目のすぐ隣にあって、視覚よりも原初の統覚をつかさどる言葉から〈黒〉ではなく〈暗い〉が直接導かれていることは特筆すべき点である。もちろん祠の中は普通は〈真っ暗〉だし、〈高倉〉という語が一般的である以上、古代のクラは原の下に置かれていた事実もこのような結果を合理的に説明する。そして我々の積極的な精神活動が身体のうちのとりわけ皮膚感覚と結びついていることに我々の祖先が注目してきたことにも敬意をはらいたい。さらに我々の行動は筋肉によっているのだから行動すべき〈怒り〉が腹筋からくるというのも合理的である。
   我々は現在闇を恐れ、常夏ならぬ常昼の世界を生きているので、ともすれば闇は怖いもの、いやなもの、排除すべきものと考えるが、日本語、あるいはやまと言葉祖語を作り出してきた人々はそうは考えても感じてもいなかったということがこの三つの語よりよく分かるのである。
  日本の歴史とはなにより日本語の歴史なのだから、このような日本語のありようから郷土というものを、来年はしっかりと考えていきたいものである。