文と文体

そして今回柳父章の著書に触発されて、以下の文体こそが日本語の古層によこたわるパターンであることを確信できた。

対応文;   ・そこデ息子ニ読書ヲ命じた〈主〉ハ、えらい事。
報告文体;   ・そこで息子に読書を命じた〈主〉は、えらいミコトにございます。

これは長年考え続けてきた<てにをは>の含意についても手がかりを与えてくれた。和歌体においても多用される「連体形+体言」こそが日本語における主節の中の主部のもっとも正統な姿だということを確信できた。以前、柳父章の「カセット効果」なる概念にも私は多くを助けられたが、今回も〈主題=〜についていえば〉という指摘に大きな示唆をえた。
     古代の人々にとってはモノとモノの関係などは意味を持っていなかったのであろう。コトとコトの関係こそが実体であったのである。だから現象語を二つ関連付けることで意味を生じることができた。それは「あれー」とか「うまそうだなー」などという口を衝いて出てくる<句>、つまりpull伝達体ではなく、熟慮を必要とする構成された<文>、つまりpush伝達体の必要条件でもあった。それは<公おおやけ>の場においてのみ必要な<言げん>でもあった。それはまた、封建時代になれば「武士に二言なし」というような支配層の一翼を担う者たちにとっては、己の生死をかけるべき言であった。
    そして日本語が統一されて行ったのは、当然こういう<公の言>においてであったのは、2000年以上前も今日でも変わらない。今日ともすれば書き言葉によって日本語が統一されたという根拠のない仮定の上に学問を行っている人たちがいるが、それは間違いだと思う。

当然無文字社会には単語を羅列しただけの辞書は存在し得ない。
もちろん、無償配布の教科書なども存在しない。

     そうだとすれば、言語規範は規範そのものとして流通していくしかない。それが語法であり文法なのである。それは語と語を結びつける規則として、あるいは文と文を結びつける規則として人々にわかりやすく、かつ覚えやすい形式を必要とした。その媒体が<かたり>であり、それが社会的に蓄積されれば、その中の特に有用な<文句>が文意と共に形式を人々に広めていったのである。
     それが<言技ことわざ>や<決まり文句>や<詩文の一節>や<書物の冒頭>である。書物の内容の全体は師が、<ということは文体><つまりは文体><要約すれば文体>などを使って口伝えで教えていったのである。
    だから、私は古事記を第一に古い辞書として捕らえ、そこから蛇神信仰の時代、まだ漢文が日本社会に蔓延する以前の人々の言葉と習俗を取り出したいと考えている。そこから書記テキストとしてしか残っていない大和言葉の祖語にあたる言語の復元をしていきたいと考えている。それを<やまと言葉祖語>あるいは〈大和言葉祖語〉と名づけた。
     そのための方法は日本語祖語研究で破綻した、西欧言語学からの直も直、そのまんま輸入である<音韻の転化と訛の法則>や書記テキストに残る<基礎語彙>ではありえない。その方法は現在のわれわれを規定している直示文の文法と語法であり、語彙は古い語ほど<多義的>であるという仮説を元に、語彙構造の結節点に位置する語彙に焦点を当てていくことになる。
     さらに大事なことは規範の媒体としての〈決まり文句〉は教育の場では重視されるべきものであるが、日常生活でもっとも大事な言は〈オラが見た限りでいえva、〉という〈まえおき〉ではじまる事実文体である。
    なぜなら、この文体こそが国民国家の礎であるからである。来るべき裁判員制度とは国民一人一人が以下の直示文に責任を持つということなのである。

この殺人犯は死刑。

これは以下の二つの対応文を合成した結果から導かれる。

この人は人を殺めテイル。
人を殺めた人は死刑。

  主語や主述関係を抹殺した日本語はおしゃべりには向くかもしれないが、公民の言たることはできない。そして現実に現れる公民の文体は以下のようになる。

判決主文体;   ・私たち、裁判員は、人を殺めた某に死刑をva、命ず(死刑gaメva、いづ)。
有罪判決文体;   ・被告人某は人を殺めている、と私たち、裁判員は思う(ミる)。
量刑判決文体;   ・被告人某の行為は死罪に相当する、と私たち、裁判員は考える(ミなす)。

   もし、主語や動詞を用いた主述関係は日本語にはならないということになれば日本語の正統な唯一の文体は以下になる。それは自画自賛支配者たちによる、お気楽能天気衆愚国家としか言いようがない。

現象語対応文;   ・ここで、人を殺めている某に死刑を命じた私たち、裁判員は、えらい事。

     明治維新以来100年以上をかけて識字率ほぼ100%を達成したこの国の教育問題が混乱している第一の原因はここに焦点をあてるリーダーが不在だからである。この点については以下を参照してほしい。
http://d.hatena.ne.jp/midoka1/20061214



今大事なのは三上らが苦闘した文言「象は鼻が長い」を三組の文体のうちに理解することであると思う。

例示文体   これga、象。(象とは、かくかくしかじかのモノ)
判別文体   こいつva、象。
事実文体   オラが見た限りでいえva、象は鼻が長くて、体が大きくて、・・・。
伝聞文体   主が言ったことでいえva、象は鼻が長くて、体が大きくて、・・・。
常識文体   象っていえva、それは、鼻が長いもののコトにきまっておる。
請負文体   象って、鼻が長いんだ。


■上記以外の文体(07.04.07)
『日本語はいかにつくられたか?;小池清治』の橋本文法の解説を読んで以下の二対を加える。以下の記事も参照ください。
http://d.hatena.ne.jp/midoka1/20070312

名-コト対応文体   象というモノは、鼻が長くて、体が大きくて、・・・目が小さなモノのコトです。
直示体-名対応文体   鼻が長くて、体が大きくて、・・・目が小さなモノであるコイツは、象というモノです。
と題説文体   象とは、鼻が長くて、体が大きくて、・・・目が小さいモノのコトである。
で題説文体   象では、鼻が長くて、体が大きくて、・・・目が小さいコトがある。