日本語の主語;「おひさしぶり」と「ごぶさた」

      日本語教育の勉強を始めて、最初に出あったのが、水谷御夫妻の著書で、実際のボランティア・クラスでは高柳和子さんのご本を使うことになったので、私の経験は多くの日本語教師のものと少し異なっている。というのは両方とも survival Japanese を第一にしていて、現在主流の日本語能力試験や留学生試験を意識した折衷的な教科書とは違っているからである。私自身でいくつかの教科書にあたって、このsurvival Japanese に特化した教科書よりも折衷的な教科書の方が人気がある理由が、わかってきた。
     それは後者の方が教えやすいのである。
     前者は教える側の日本語理解を根本のところで崩すことを要求する。そしてsurvival という目標も、漠然としているゆえに、〈試験のための勉強〉という、われわれの中にある教育の固定観念を崩すことを求める。そこにいくと、折衷的な教科書は、ドリル書も豊富でわれわれの中にある集合教育のイメージを無自覚に持ち続けることができるから、精神的に楽なのである。
     それにしても survival Japanese が提示する文型はおそろしく難解である。私など1課の予習に1週間では足りなかった。最初の二年は、ほとんど何がなんだかわからない状態だった。今思えば、この時の2年間で、私は50数年使ってきた私自身の日本語理解を根本から再編成しなおしていたのだと思う。それでも已然形の矛盾に気がつくには、中学生への学習支援という母親経験の追体験を必要とした。
     もちろん、それまでの日本語理解の根本的再編成作業がなければ已然形の矛盾自体、私の問題意識に上ることはなかっただろう。それでも自らの言語理解に関するコペルニクス的旋回には、自身の実体験を必要とする。
     だから、私が日本語には主語がいる、と主張するとすれば、それは私にそれなりの実体験があるからである。それは高校の古文読解で身体に植えつけられたものである。今考えれば「主部」と呼ぶべき概念で、空位の場所に「主語」を措定しながら、一学期をかけて「桐壺の巻」の冒頭を読みすすんでいく授業であった。先生の言葉の一つ一つは鮮烈に私の身体に入り込んでいった。いわく、源氏物語は日本語であって日本語話者ならば簡単な語彙の説明があれば、必ず読み進むことができる。いわく、私たちが難しいと感じるのは学者が注釈をつけて難解にしてしまったからだ。

先生はおっしゃいました。どんなに大変でも、自分でかんがえろ、と。
その人はおっしゃったのです。大変でも、自分の頭でかんがえろ、と。
子、いわく、しんどいコト、vaッテン、考えて考えぬけ。

     その後、機会があって、高校の化学の教師、銀行の人材育成担当部長から英語教師という変り種のアメリカ人に英語をおそわることになった。そこで出てきたのが大野晋氏の「縮約」であった。ドイツ語。スペイン語ラテン語を操れるという外国語フリークの奴さんと、英語の文章の縮約競争を繰り返した。そこでのルールは、与えられた文章をどんな長さのものであれ、定冠詞も含めて 5 words の単文に要約することであった。このときの体験で私は読解、または読み取り、における〈意味〉とは、〈主部と述部の結合〉それ自身であることを確信した。



    それにしても日本語教育のボランティアレベルにおける国語文法への憎しみ、軽蔑、敵意はすざましいモノがある。どのみち学校文法など、日本語話者にとってはほとんど役に立たないから、すっかり忘れているのに、講座のはじめに必ずといっていほど学校文法に対するののしり言葉が受講生に対して振りかけられる。
     それはほとんど一種のセクトへの忠誠心の要求としか思われないほど醜いものである。もちろん教科書や文字になったものではこういう醜い言葉は決してお目にかかることはない。それは講義の中で言葉の端はしにあらわれる。もっともこういう傾向は日本語教育界の中だけの現象ではなく、学者の語り口にはこういう罵詈雑言が多い。昨年、日本言語学会の夏季セミナーに参加したときも、学会の外で有名な学者に対する罵詈雑言のほのめかしに何度か出会った。先日取り上げた、朝日新聞の語り口もそうだが、本筋でないところで、ポロっとこういうことを口にする大人から教育を受ける大学生がどういう大人になっていくかは、およそ想像がつく。負の連鎖に入り込むのである。
      何事も先駆者には大変なご苦労が伴うはずだから、歴史的な過程で大先生といえどもポロっと愚痴をこぼすことはあって当然である。だが、国語学会が日本語学会に名称変更をした2004年をはさんで今、「主語はいらない」とか「主語の抹殺を」などいう露骨な題名の本が大手出版社から上梓され、それと歩調をあわせるかのような三上賛美論がくりかえされるというこの国のありようには大きな疑問を持たざるを得ない。
    私はこういう傾向を「落ち武者狩り」と名づけている。「国歌斉唱と日教組」も同類だ。私が子供の頃には、先生は全員日教組だったのだから「日教組=学校」だったのに、そういう時代にはこういうののしり文句が聞かれずに、今になって教育問題の中心に躍り出てくるというのは不思議な現象だ。武士自身では決して「落ち武者狩り」をすることはない。当時で言えば文字を読めない在地の者たちに、金でつってやらせる事柄だった。だが、それは一般庶民にとっては、安全で実入りのいい仕事だったはずだ。
     都市生活者は、これを 「尻馬にのる」といって嫌ってきたが、一方で、「勝ち馬にのる」という言葉もある。しかしこれは元来は勝敗がついていないときの判断に対するほめ言葉であって、やはり2004年以降、あるいは国語学会が名称変更を決定していたであろう、2002年以降の動向は「尻馬にのった」行為に過ぎない。あるいはもっといえば日本語教育文法への忠誠を誓わせるための、研究者や教師への〈踏み絵〉だったのかもしれない。
      この3月に行われた神奈川県主催の地域ボランティアの学習会ではさすがに「主語問題」は題目にあがっていなかった。決着済みという扱いであろう。代わって「学校文法の問題点」としてあがっていたのが、「形容動詞」「複合格助動詞」「やりもらい」であった。これらはいわゆる「品詞」という「カテゴリー問題」である。つまり、〈文法grammar=粒粒にすること〉という枠組み自身を問題にせず、個々の矛盾をばらばらなままに、日本語教育の実績だけで日本語の本質を捉えられていはかなわない問題なのである。



      ということで日本語教育界のカリスマである水谷御夫妻の共著になる『外国人の疑問に答える日本語ノート4』におけるご夫妻の説明に異を唱えてみたい。
    「ひさしぶりです」は会ったときの喜びの表現で、「ご無沙汰しております」は相手と常に連絡を取るべき目下の自分の非礼をわびる表現だとある。それゆえ「ひさしぶです」には「ほんとうですね」と答えることになり、「ご無沙汰しております」に対して使われる「こちらこそ」は使えないと説明されている。
    上の説明はまさに「主語」を抹殺した説明のありようを提示している。だが「主部」という考え方をとるならば上の二つの文は日本語話者ならば『雪国』の冒頭の文同様に一意に以下のように変形できる。
   ・私とあなたとが、互いにお会いするのは、ひさしぶりです(ね)。
   ・私は、あなたに対して ご無沙汰をしております。
つまり、対応文としては以下の二文が抽出される。
   ・会うコトは、ひさしぶりのコト。
   ・私は、〜をしてます。
当然、著書に例示されている慣用句が使えないときは以下のようになる。
   ・いやーね。何寝ぼけてるの。昨日あったばかりじゃないの。
   ・本当だ、もっと早く来ればいい儲け話があったのに、残念だったね。


    「主語」にしても「は・が」にしても日常の会話では省略されることが多いから、初級の日本語を教えるだけなら、「不要」という立場もありえるが、それを日本語の本質にまで拡張するのは問題がある。それは直示辞「こ・そ・あ」というくくりが初級日本語を教えるのに便利だからといって、日本語の本質には拡張できないのと同じことである。または99%の日本人が「鉛筆いっぽん」と言っているから、「鉛筆いちほん、は間違い」、とする教科書で本当にいいのだろうか、と疑問をもつと言うことでもある。
    さらに思うのは〈理論・論理〉のことである。理論は形式だからどうしても見た目の一貫性を要求する。これは、そのまんま自然なら1000年前も今も変わらないから、形式の統一は容易な方だが、言葉のように古いものと新しいものが混在しているものを対象にするときは非常な困難がともなう。それぞれをまず時間軸にそって整理する、デカルトの言葉を借りれば無理にでも時間軸を仮構しないと対象の成り立ちが、つまり本質が見えてこないのである。そうするとどうしても階層性の記述ということになる。
     そうすると用語が限りなく増えていく。だが階層間の関連も表現しようとすると、一見しただけではわからない名辞になってしまうのである。そうすると途中をショートカットして党派的な名辞のおしつけが運動として成立していくことになる。ここを克服しないと文化鎖国への道を進むことになる。
     だが、本当に大事なのは〈論理〉なのである。これは理論を通して個々人が掴み取っていく、または推し測っていくものであるから、いい理論かどうかは本当はそれを使った人にしか決められないのである。