『ことばは生きている』の第5章

  『ことばは生きている−選択体系機能言語学序説』の第5章は、について、<主題ー題述>と訳出した上で、英語においても日本語教育学の従来の主張が普遍性を持つかのようなイメージを与えることに成功している。しかし本当にそのようなイメージに幻惑されてもいいのだろうか。
    ここでは4つの英文によって主題についての例示が行われている。   p87

    Theme主題   Rheme題述
a   The dragon   chased a unicorn in the sky garden.
  In the sky garden   the dragon chased a unicorn .
  A unicorn   was chased by the dragon.
  By the dragon   a unicorn was chased in the sky garden.

  ところが正式の図式としては、この中から二つの文しか、取り上げられていない。それがp88の「図1;主題・題述構造」で、これには日本語の訳語はついていない。さらに[a →the ]へと、変形されている。すなわち、以下。

The dragon   chased a unicorn in the sky garden.
The unicorn   was chased by the dragon in the sky garden.
Theme   Rheme

これは、情報理論からは新情報が文頭に来ることはまれなのは当然なのである。だから、上の文例cとdは一般的には英語でも非文とされる。ただしこの文の前に以下のthere構文があれば別である。そうであればとなっているはずである。

There lived a unicorn in the sky garden.

,そして、これこそが大野晋が<新情報・既情報>という概念を使って分析した以下の日本語文に対応する。

・ある空中庭園に、一匹の一角獣〈ガ〉住んでいました。

これをHALLIDAY先生の用語を使って分析すれば以下。

・residueに、一匹の一角獣ガ(subject) 住んでヰ(finit) まし(residue) た(finit)。

話が少し横道にそれるが、私は用語〈主語・主題〉は〈政治用語〉だと考えている。二回目の経験である。一度目は〈重量・質量〉。これについては以下にまとめてある。
http://homepage2.nifty.com/midoka/
http://d.hatena.ne.jp/midoka1/20060604
    上の問題が政治的だというのは、ある時、古代の猟に関する学術書を読んでいると、唐突に〈獲物の質量〉という言葉が出てきて驚いたのだが、読み進むと同じ意味の語彙が〈獲物の重量〉となっていたので著者の人格を疑わずにすんだのである。出版社の意向として【学術書には重量を用いてはいけない。質量を用いよ。】といわれたのであろう。だが自分の著書なのに普段自分が使わない用語を使うのは情けないものであるから、チェックが入ったところだけ訂正したのであろう事が理解できた。
     それで本書にもそういう齟齬が見つからないかと探してみたら、すぐ見つかった。結局同じ意味の〈照応〉があった。これならば私も使ってきた、日常用語で使われている〈対応〉に相当する学術専門用語として違和感なく使える。
     著者はp97で以下のように記述している。
>特に注目すべきは、「主題と主語、題述と述語」は同じものではないという点です。
  しかし、大事なのは「主部と述部とが互いに照応ないし対応しているコト」「主語と述語とが互いに照応ないし対応しているコト」、そして日本語では「まえおき文clauseと本文clauseとの照応ないし対応関係が、歴史的に長い間用いられてきて基本パターンとして定着している」という三点ではないだろうか。
     駄目押しで続けると〈subject-sentence〉、つまり<主題ー文>には、照応ないし対応関係はない。なぜならばこれは現代の日常英語では、すなわち<カタチのないモノーかたまり>で表出される内容だからである。これをさらに言い換えると<主題>と<文>は異なる階層に存在するということである。逆に言えば二つのモノなりコトなりが照応ないし対応関係にあるということは、自動的に二つが同一階層に存在するということを含意する。この「階層性の問題」は西洋学問の輸入における最大の難関であり、とくに初級教育における党派的論争の格好の餌食となりやすいことを理科教育を事例に簡潔にまとめたものがあるので参照してほしい。以下。
http://homepage2.nifty.com/midoka/papers/consist.pdf
http://d.hatena.ne.jp/midoka1/20060603
    本題にもどると、照応ないし対応という概念に注目することで、日本人が発話内容と状況コンテキストを切り離して発語すべきでないという規範を大事にしてきたということをよく理解できるようになる。これは現在の認知科学の発展から照らしてみれば、過去の日本人の優れた認識努力の資産として大いに誇りえる歴史的事実だということになる。
    言い換えれば、これが日本語と英語の様相の顕著な差をもたらしているのである。日本語はHALLIDAY先生がと呼んだ項がしばしば文頭にくるが、英語の書記テキストではそういうことはほとんどおきない。それは状況よりも内容を優先する形式をsentenceとしてつよく意識して、その形式を育ててきたということである。もちろん、状況を優先した表現をしたいという欲求は英語話者にもあるだろう。そのためにこそ、があるのである。だから文例bとdとを正しい文例にするためには以下のように変形する必要がある。第5章ではこの点の混乱を避けるために、前提として〈節頭〉という用語でまとめられているが日本語でかかれた書物である以上、〈複数文節文体〉がむしろ基底にある日本語の場合は<文頭>が一般的に使われているのだから、それとの対比がしやすいように、注の一つもつけられているべきだと考える。

b'   It was in the sky garden that the dragon chased a unicorn .
d'   It was by the dragon that a unicorn was chased in the sky garden.

     上の文型について著者は有標型と名づけ、〈a,b,c,d〉を無標と名づけて、〈a,b,c,d〉を一くくりにして、4つともが、本来の英語の形であるかのように説明しているが、それは主語を抹殺した日本国の初級英語教育の中でだけ通用する枠組みの理論ではないだろうか。
     ちょっとわき道にそれるが現在の中学校では"It's nice to meet you."の文型を全く教えずに"Nice to meet you."の文型をいきなり導入するらしい。本屋で確認したところ学習参考書はそういう書き方だった。だがOXFORDやHARVERDから出版されている児童向けのESLの教科書では、必ず"It's nice to meet you."の文型を目立つように配置している。これは学校教育の重要な目標の一つに識字教育がはっきりある文化かどうかという問題なのでここではこれ以上立ち入らないが、この5章の著者の立場はあくまで〈初級日本語教育に不要な主語は抹殺すべし〉といって、〈主語を抹殺した日本という文化鎖国国〉でしか通用しない認識だということははっきりしておきたい。
    話をもどすと、 もちろん、日本語ではこんなまわりくどい言い方はしなくてもよい。それを可能にしているのが<ば、は・が・空位>の使い分け。上記の文例を訳してみる。従来、〈空位〉についての考察はあまりなされてこなかったが、〈 〉にしめされる空位こそが、日本語の基本文型が、〈まえおきを含む二文節型〉であったので、人々は歴史的に、主文節と従属文節の違いを語順倒置という形式によってではなく別の指標で有標化してきた努力の化石なのである。下の文例の空位を示す〈 〉に〈は or ば〉を入れてみれば、それそのことがよくわかるであろう。

a   The dragon   chased a unicorn in the sky garden.
a   その龍は   空中庭園で〈 〉一角獣を追い回した。
b'   It was in the sky garden that the dragon chased a unicorn .
b'   空中庭園では   その龍〈が〉一角獣を追い回した。
b'   空中庭園で〈 〉   その龍〈は〉一角獣を追い回した。
b'   その龍が一角獣を追い回したのは   空中庭園でであった。
c'   The unicorn   was chased by the dragon.
c'   その一角獣は   龍に〈 〉追い回された。.
c'   その一角獣について言えば   それは、龍に〈 〉追い回された。.
d'   It was by the dragon that a unicorn was chased in the sky garden.
d'   龍について言えば   それが、一角獣を〈 〉追い回した。
d'   その龍が   一角獣を〈 〉追い回した。
d'   一角獣を追い回したのは   その龍。
e'   その一角獣を〈ば〉   龍が、追い回した。
e'   その一角獣は   龍が、追い回した。
e'   その一角獣について言えば   それは、 龍が、追い回した。
e'   It was the unicorn that the dragon chased in the sky garden.


■文化のコンテキスト
    〈状況のコンテキスト〉について引用したので、第2章で対概念として導入されている〈文化のコンテキスト〉についても私の考えを述べておく。p21に二つの例文が取り上げられ、それを自動詞と他動詞という用語を使って日本語と英語を比較している。だが、ここで突然、〈文法:grammar・粒粒にすること〉のレベルで処理するのは一貫性にかけると思う。これは日本語が状況コンテキストを組み込んだ文型、初級日本語教育でいう【は、が文】とその逆語序対である【が、は文】を基礎文型としていることからくる、という説明の方がルース・ベネディクトの『文化の型』と密接な関係をもつアメリカ構造主義言語学、あるいはプラーグ派の教祖であるソシュールの差異の言語学のあり方になじみ易く、なにより日本の民衆にも受け入れやすい説明であろう。

(1) A cup of coffe cures a hangover.
(1) コーヒー(について言えば、適用するコト)は、二日酔に〈が〉いい。
(1) コーヒーとは、二日酔にいいモノである。(と題説文)
(1) コーヒーでは、二日酔がなおる。(で題説文)
(1) コーヒーは、二日酔に〈 〉 いい。
(1') 二日酔には、コーヒーがいい。(に題説文)
(1') 二日酔に、コーヒー(は/が)いい。
(1) コーヒーについて言えば、二日酔に(は/ )いい。
(1') 二日酔について言えば、コーヒー(は/が)いい。
広告文体  二日酔には、コーヒー( /が/を)。
請負文体  コーヒーって( /いうモノは)、二日酔にいい んだ。
判別文体  このコーヒーは、二日酔にいい。
例示文体  このコーヒーが、二日酔にいい。:二日酔にいいモノは、このコーヒー。
(2) What has brought you here?
(2) 何故(なのか。)(あなたが)ここにいるの〈は〉。
(2') (あなたが)ここにいるのは、何故(なのか)。
(2') ここには、あなたがいるが、それは、何故(なのか)。(に題説文)


■【おまけ; 十分な検討は今後するとして、あくまで備忘録】
  さらに検討を続けると、<ある空中庭園>を積極的にtopic、首題、主題にするためには<は>が必要である。もちろん日本語は主語でも述語でも助詞でも省略されることが多いから、現実にはいくつかの変形型が存在する。可能な限り列挙すると。

a unicorn   ○ある空中庭園に、一匹の一角獣<ガ>住んでいました。
    ×ある空中庭園に、一匹の一角獣<は>住んでいました。
    ○ある空中庭園に<は>、一匹の一角獣<ガ>住んでいました。
    ×ある空中庭園に<は>、一匹の一角獣<は>住んでいました。
the unicorn   △ある空中庭園に、その一角獣<ガ>住んでいました。
    ○ある空中庭園に、その一角獣<は>住んでいました。
    ○ある空中庭園に<は>、その一角獣<ガ>住んでいました。
    ×ある空中庭園に<は>、その一角獣<は>住んでいました。

上の文例からいえるのは新情報は主語にも主題にもなりえないから、文頭の<ある空中庭園>は<は>が空位でも首題・主題になりえる。ところが既情報は場所格に優先して主語・主題になる。だから助詞<は>の存在が主語・主題の指標として重要になる。そのためには、<は>は、<を>同様、一つの節の中では二つは存在できないというルールが大事になる。

△その一角獣<ガ>、ある空中庭園に、住んでいました。
○その一角獣<は>、ある空中庭園に、住んでいました。
×その一角獣<ガ>、ある空中庭園に<は>、住んでいました。
×、その一角獣<は>、ある空中庭園に<は>住んでいました。

○その一角獣についていえ<ば>、それ<は>、ある空中庭園に、住んでいました。
×その一角獣についていえ<ば>、それ<は>、ある空中庭園に<は>、住んでいました。
×その一角獣についていえ<ば>、それ<が>、ある空中庭園に、住んでいました。
×その一角獣についていえ<ば>、それ<が>、ある空中庭園に<は>、住んでいました。

a unicorn   ○ある空中庭園ついていえ<ば>、そこには、一匹の一角獣<ガ>住んでいました。
    ×ある空中庭園についていえ<ば>、そこには、一匹の一角獣<は>住んでいました。
the unicorn   ○ある空中庭園についていえ<ば>、そこには、その一角獣<ガ>住んでいました。
    ×ある空中庭園についていえ<ば>、そこには、その一角獣<は>住んでいました。