『構造統語論要説』

    フランス人でスラブ語の研究から出発した1893年生まれのテニエールの仕事を後継者がまとめた、1959年に出た初版の改訂版である。
■主語
    〈構造〉という名のとおり〈主題〉という語彙は影も形もない。目次に出ているのは〈主語〉と〈述語〉のみ。
    ただし、それらは否定されるべき概念として取り上げられる。そこで否定されるのは〈動詞と動詞の主語と〉という対応概念で、これにより学校英語で習った能動態と受動態の突出した区分を無効化できることが明示される。これは日本の英語教育に迅速に取り入れられるべきだ。なぜならば以前、理科教育のことを勉強しているときに以下のような英語直訳文をめぐって党派的論争があったのを思い出したからである。
    (1) 磁石に鉄粉がひきつけられる。
    (2) 磁石が鉄粉をひきつける。
   上の文例の(2)は擬人法だから、理科教育、すなわち正しい科学教育の導入では用いてはいけないという強い主張があって、びっくりしたのである。厳密にニュートン的な記述を心がけるなら、その奥義である「作用反作用の法則」に忠実であるべきなのである。とすれば、以下の(3)ように書くべきだということの方が重要なのである。どのみち、(1)だろうが(2)や(3)を使おうが、〈動詞〉を使う限り擬人法に変わりはないのである。
    (3) 磁石と鉄粉とが互いにひきあう。
   そこで、面白いことに上の文例ならば日本語でも、いわゆる〈自動詞〉を使った(4)のような〈受身文〉は使われない。擬人法というより心的要素が表に出てきてしまうからであろう。
    (4) 磁石と鉄粉とが互いにひかれ(る/あう)。

■内観
     著者はフランス語教育の確立という実用に重きをおいていたらしいが、理論の構築には無関心ではなかったという。日本で政治用語になっている〈主語・主題〉に関連しそうな部分を探すと、この項目が目次に出ている(p30)。 日本の場合、〈主題〉を、英語には還元できない、恐れ多くもカシコキ〈日本語〉の特徴として取り上げようとした人々によって、〈橋本文法〉を貶めた上での〈ソシュールを超克したトキエダ文法〉というレトリックがたびたび使われてきているので、若い人には一読の価値があると思う。
      以前にも書いたが、〈文sentence〉は形式であるから、カタチをもつobjectである。しかし〈文を読む〉ということは〈行為〉であり〈現象〉であるから、文意や文の主題は〈カタチのナカに存在する、文とは異なる、つまりカタチを持たない何か〉であり、こちらの方が本質であり、なにより大事だ、という捉え方は日本だけではないようで、そういう態度attitudeについての簡潔なコメントである。
      若人には、肯定も否定もせずに、自分の態度を明確にするレトリックの見本としても一読を勧める。もちろん、これは、他者を貶めなければ、あるいはお雇い外国人や教祖さまに助けてもらわなければ自説を展開できない言説が多い日本の現状を打破するためにはなんとしても身につけなければならない修辞法である。
      そしてこの項は同時に言語学言語哲学の関係も明示する。哲学が先である。著者場合、言語哲学は人間の言語活動に対する認識と連動する。すなわち音声という〈表され〉に対して話者の意図として〈表し〉という用語をつかい、その形式は構造的図式と線的図式を持つとする。
      ここまできて私の文を読んでいる人はこんがらかってきたはずだ。しかし、哲学は自分の経験からしか理解できないのである。私の場合は以前に〈文と文体〉という対語を使っているが、そのときの〈文〉に相当するのが著者が言っている〈図式〉なのではないかと判断しておいた。

■語句文の分類(p 96 第1部 46章)
    いわゆる〈感嘆詞〉などを〈詞〉ではなく〈語句〉とすることで、日本語の〈文句〉〈文言〉などを、凝結していて構造解析にそのままでは適さず、完全な文となるためには他の句を補う必要のあるモノとして〈完全な文〉と区別している。意味的には感情的単項文と論理的単項文に分類される。これは私が今まで使ってきた〈pull構文〉〈push構文〉の対語に相当するように思われる。

■記号と可能文(p 58 第1部 33章)
     ここでようやく他の文法書との違いが明確になる。従来の品詞にかわり以下の語彙分類が提示される。日本語の〈詞〉らしきものが〈実辞〉と名づけられて、従来の品詞に相当する概念が4つの名前を与えられる。以下。

O=実詞
A=形容詞
I=動詞
E=副詞

とりわけ記号の理由にエスペラント語があげられていたのだが、私が今まで考えてきた【音韻イメージから探る日本語】という方法に照らしてもある種の関連があることが、大変興味深かった。さらに本章で示される〈現実図系〉と〈可能図系〉の対語も、私の考えている〈文と文体〉という対語と重なりそうでうれしかった。そして後半分を占める第3部ではこの〈実辞〉間の【転用】について詳述される。つまり品詞分類は構文の中で変幻する概念として捉えられる。