「日本が未来を託す/外務大臣の生活と真実」

midoka12007-05-27

     5月25日の朝日新聞に載っていた『ゲーテ』という雑誌広告の中に上記の見出しがあった。私は一瞬、<日本が主語>と理解したのである。だがこれは<日本が未来>が<対象語>になるという、という解釈もありえるし、それが旧来の文法の前提にあった。もちろん、現在は〈日本の未来〉という用語が定着しているのだから、あえて〈日本が未来〉という言葉を使ったのはあくまで〈主語としての日本〉を意識したものと解釈するしかない。つまり〈コト〉である〈日本〉を〈者〉として扱うということである。それはすなわち〈日本=日本人〉という思想を前提とする。
     だが、そこまでの断定はいき過ぎという意見もあるだろう。
     それは学校文法では<主格が>だけを教えて、<係助詞は>との関連に注意させないからである。だから、歌舞伎支援の時のキャッチコピーで使われた〈が、〉という係助詞への転用が、皮肉にも伝統の枠組みで普及していくことになる。だが、それゆえ、昔の日本人の頭の中には二点セット<バッテン、ガッテン>があって、文字を読めない民衆にあっても機能していたのかもしれないという仮構をつめていくのにいい材料になるかもしれない。試してみよう。
http://d.hatena.ne.jp/midoka1/20070515
     まず、〈/〉記号は改行記号だが、普通に読んでいくと〈句点 、〉〈読点 。〉を入れて意味をとることになる。だが、一応半ば義務教育化している高等学校の古文で、動詞には二つの語末形<終止形>と〈連体形>があったことを習っているから<ル〉も改行記号の代替として考えておく。それと、<と真実>の部分は構造に関係しないだろうと考えて省く。そうすると16文字の元データができる。

■16 処理データ (1) 日本が未来を託す〈、〉外務大臣の生活
    (2) 日本が未来を託す〈。〉外務大臣の生活
    (3) 日本が未来を託す〈ル〉外務大臣の生活

     これを私の最初の印象どおりに解釈するには以下のように変形する必要がある。

A18 日本 (体言止1文) 日本が〈、〉その未来を託す外務大臣の生活
    (体言止2文) 日本が〈。〉その未来を託す外務大臣の生活
    (非文) 日本が〈ル〉その未来を託す外務大臣の生活

      ここで大事なのは現代文で省略されがちな、<その>を補うことである。そうすると連体形文は非文となる。日本語の歴史のある時期に終止形と連体形の区別がなくなったということだが、それは和歌のような体言止以外の形式では別の仕掛けが発達してきたからであろう。ここで取り上げた文のような場合、〈日本が〉が〈日本の〉と〈日本が、〉の二つの解釈が可能である場合は連体形と終止形の区別は重要になる。
      もちろん一方で〈日本=コト〉と〈日本人=者〉という区分が暗黙のうちに共有されていた場合は、これまた混乱は起こらないのである。大事なのは現在の日本は、といっても今までもそうだったのだが、公の世界がいつも混乱しているのだから、誤解がおきないような表現を努力目標にしていきたい。
      ここで、さらに面白いことに気がつく。それは両文とも、〈その〉の挿入位置は〈未来〉だけでなく〈外務大臣〉〈生活〉にもかかりうるということである。入れ方としては三つ全部に入れるというのが正式ではあるが、一方で省略形式の場合は文脈からどうとでも解釈できる。一般的には直近にかけるが、特定の文言が広まっていればそのカタチに引きずられた解釈もある時期、ある時代には方言として広まっていく可能性は大きい。
      いずれにせよ〈は・が〉だけでなく〈が・の〉と〈指示詞の有無〉ということにやかましい、あるいはうるさい大人が多くなることが必要だ。若い人からうざったい、と言われてもである。



■おまけ

B16 生活 (1)〈日本が未来〉を託す〈、〉外務大臣の生活
    (2)〈日本が未来〉を託す〈。〉外務大臣の生活
    (3)〈日本が未来〉を託す〈ル〉外務大臣の生活
A20 生活 (1)日本が、未来を託す〈。〉その外務大臣の生活〈が/を〉
    (2)日本が、未来を託す〈。〉その外務大臣の生活〈が/を〉
    (3)日本が、未来を託す〈ル〉その外務大臣の生活〈が/を〉
B20 生活 (1)〈日本が未来〉を託すべき〈、〉外務大臣の生活〈が/を〉
    (2)〈日本が未来〉を託すべき〈。〉外務大臣の生活〈が/を〉
    (3)〈日本が未来〉を託すべき〈ル〉外務大臣の生活〈が/を〉