『坊っちゃん』 ; 風土か流水か

ルース・ベネディクト関連の文献に出てきたので新潮文庫を読んだら、当然、面白くてスイスイ読んでしまった。ところが文末の解説が江藤淳という30年代生まれの男によっていたので、ちょっと警戒したが、どうともなく読み終えた。それが昨日のこと。今朝になって、やっと江藤の仕掛けた罠にすっかりはまっていたことに気がついた。江藤は最後をこう締めくくっていた。

坊っちゃんは敗れたが、彼には帰るべきところがあった。」

   これでは以下と同じになってしまう。

スカーレット・オハラには帰るべき土地、タラがありました。」

   まずいのだ。
   なんとしても風土教から抜けださなくては・・・・。
    で、やっと、思い出したのが以下・・・。

「世にしたがへば、身くるし。したがわねば、狂せるに似たり。」

    それから、今度は年表をめくっていくと、漱石が唯一自身で英訳した日本の古典として『方丈記』が記載されていた。私の直感もまんざらではないなとちょっと鼻がヒクヒクした。だが、年表の記載文は、漱石の主体性を隠して、たまたま依頼があったので受けただけという心象を与えるようになっていた。
    ところで、ベネディクト関連の文献によると、ベネディクトはそれまでに沢山の日本文化関連の文献をよみあさっていたのに、中核のイメージがつかめなくて苦労していたらしい。その文献には漱石の著作全般という指定ではなく、『坊っちゃん』にのみベネディクトが感心したように書いてあったので、ちょっと彼女の思考の流れをイメージできなったのだが、彼女自身少なくとも同時期の『草枕』『我輩は猫である』にも目を通して、俗流文人のバイブルである『徒然草』とは一線を画する『方丈記』系列の近代人を漱石の中に見つけたのだと思う。
    この仮説のためにしばらく漱石を追いかけてみることにする。



逆語序対〈簡単・単簡〉〈利便・便利〉
   最近は見かけない〈単簡〉を漱石は数度使っていた。
■「おれみた様な無鉄砲者をつらまえて」 
   〈ヤウ様イ〉の読み方があったと取っていいのかしらん。