「メガネをかけた人」;事実文と判断文

       ようやく、デカルトのテーゼ「原因の認識は結果の認識から導かれる」を、日本語の成り立ちと重ね合わせて考えることができるようになった。プロフィール欄にまとめたように同主語複文では動詞の語末形の連用、已然、連体の三つのカタチによって、〈動作の順逆〉〈已然・然聢〉〈動向・行動〉を描き分けられる。そしてそこでは文序が決定的意味を持っていた。例を再掲する。
逆文序対;〈動作の順逆〉・手を洗って、ご飯をお食べ。 ・ご飯を食べて、手をお洗い。
_______;〈已然・然聢〉・手を洗えば、ご飯をたべられる。 ・ご飯を食べれば、手を洗える。
_______;〈動向・行動〉・手を洗うnで、ご飯をたべるn。 ・ご飯を食るnで、手を洗うn。
       話はちょっとそれるが、ここで命令文型のことを整理しておこう。上の文型はそのまま現在でも使われている基本の三種の命令文形を導く。その後に成立したのであろういくつかの形式と共に整理しておく。
命令文型
*祖母・母親;早く手をお洗い。
*男性教師;早く手を洗え。
*女性教師;早く手を洗う事。
*アネ・アニ;早く、のってミー。 (11月7日追加)
*ていねい体;早く手を洗ってください。
*独語;早く手を洗わないと。
*呼びかけ;早く手を洗おう。
*ほのめかし;早めに、手を洗っておこう。
    さて、本論にもどって、事実文と判断文について考えると、判断の第一は特に狩や戦争では因果判断が重要なわけだが、この前段の形式としては、異主語文に変形しただけで〈条件文型〉が、導かれる。
〈併記〉・〈動作の順逆〉彼は手を洗って、彼女はご飯食べて。 ・彼はご飯を食べて、彼女は手お洗って。
〈条件〉・〈已然・然聢〉彼が手を洗えば、彼女はご飯をたべられる。 ・彼がご飯を食べれば、彼女は手を洗える。
〈条件〉・〈動向・行動〉彼が手を洗うnで、彼女はご飯をたべるn。 ・彼がご飯を食るnで、彼女は手を洗うn。
〈条件〉・〈已然・動向〉・彼が手を洗えば、、彼女はご飯をたべるn。 ・彼がご飯を食れば、彼女は手を洗うn。
      現在の我々の思い込みによれば、〈因果文型〉には〈ので〉が必須であるのだが、これを用いるための文型は〈動向・然聢〉の〈たーた文〉の組み合わせである。つまり前件を已然形ではなく、音韻対で表現されるところのく既出もの・新奇なま〉の対立のうちの〈既出もの〉の形式と〈然聢〉の組み合わせにに変形することで因果文が得られることになる。
〈因果〉・〈既出もの・然聢〉・彼が手を洗ったnで、彼女はご飯をたべられた。 ・彼がご飯を食たnで、彼女は手を洗えた。
    しかしこうして展開してみると、実は〈ので〉は必須の語ではなく〈既出もの〉である、二つの事実の順逆こそが因果を決定していることに気がつく。そして当然のことながら最初に起きた事実だけでは次に起きる事実を予見は出来ないのである。結局二つの事実をつなぐのは後件が起きた後に、その前にあったいくつかの事実の中から一つを選んで因果としてくくっているのである。
〈生起〉・〈既出もの・然聢〉・彼が手を洗った。彼女はご飯をたべられた。 ・彼がご飯を食た。彼女は手を洗えた。
     この文型をよく眺めていくと、やはり昔の人にとって、出来なかったことが出来るようになるという変化こそが現在の我々同様、最大の関心だったことに自然に納得がいく。もちろん現在の日本語は後件について〈然聢形〉よりは〈終止形〉を好んで用いる。だが、それは、結局のところ、文意をあいまいにしているだけなのである。その結果以下のような文を非文と出来ない大学教師が雑誌メディアの高みからご高説を賜るようになっているのである。
〈中国人には気味の悪い文〉;・私は犬に中国語を教える。
   そうしてもう一度〈已然・然聢〉の文型と比較してみると、実際には因果を表現するのにこの文型で十分なことが分かる。というよりもこの〈已然・然聢〉の対文の形式こそが前件を話者、あるいは主体が〈待っていた〉ことを明瞭に示すことが出来る形式なのだ。つまり、以下の形式こそが〈待ち望んでいることと実現した中味〉の対応文になるのである。つまり期待の表明文である。ところが後件を〈た末〉にすれば、そのまま失望の表明になり、それは文法用語で言えば〈反実仮定〉文である。つまり、それは失望の表明でもあるから、青人草が口にする、すくなくとも発声することは禁忌、つまりタブーだった。そのタブーを温存して今日まで来ているのが、日本の学校文法。これでは猫の分際でも意見が言える日本語の実現は当分無理である。
[文法] 〈条件〉    ・彼が手を洗えば、彼女はご飯をたべられる。 
[心情]〈期待〉    ・〈同上〉
[心情]〈失望〉    ・彼が手を洗えば、彼女はご飯をたべられた。 
[文法]〈反実仮定〉  ・〈同上〉
     そして、ここからは私の想像だが、ラテン語デカルトの時代のフランス語にもこういう齟齬が存在していたとしたら、デカルトのテーゼはそのまま猫の分際でも意見の言えるk口語フランス語への提言と見ることが出来るようになる。もちろん、その危険性に気づいた明治時代の知識人が、公式言語としての日本語からこの形式を意図的に捨象した可能性もある。とすれば、その根拠はデカルトの後に起きたフランス革命であろう。あるいはフランス革命の総括として、デカルト主義を葬らなくてはという認識が欧州の制度科学の共通理解になっていた可能性もある。以下参照。
デカルト;日本の学校理科教育の失われた輪」 http://homepage2.nifty.com/midoka/rika/IM00JUL.pdf

     だとすれば漱石が対抗したものは、そのような日本語規範の是非の問題だっと考えることができる。こういう見えない日本語の規範というのは根強いようで、今回久しぶりに桃尻語訳『枕草子』で確かめたら、橋本治は本文冒頭を以下のように訳していた。
「春って、曙よ!」
     もちろん、これは橋本治の本意ではなった。だから彼はその前に〈male version〉なるわけのわかんない注をつけて、その中で現代語なら「春は曙がよし」と解釈してもいいが、と断ってわざわざ正訳には「用言」を使わないと宣言している。そして、中学校の国語の教科書も冒頭だけは用言を補わない現代日本語文訳を載せている。
    その結果、大野晋をも含む、そうそうたる言語学者たちは、日本語の〈ウナギ文〉なるものをめぐって膨大な公的資金をつかって、いろいろな論説を展開した。それもこれも言語が文化の一部であるという『菊と刀』を素直に読めば分かることを受け付けようとしなかったからである。つまり彼らは文化が言語を支えるのではなく、言語が文化を担っている、という初歩的なミスの上に日本語文法を構築しようとしたのである。
    白人女の書いた『菊と刀』を素直に読めば、言語研究が文化研究なしに、特に、話し言葉研究が文字を持たない人々の文化研究、とりわけ禁忌・タブー研究抜きに可能である、とは考えなくなるはずなのである。とくに敬語体系は禁忌の裏返しと考えないと、その現代的意義が見えてこない。

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