どうか・どうぞ・どうも

以前、以下の二文例を対比したことがあった。その時は釈然としないままだったのだけど・・・。http://d.hatena.ne.jp/midoka1/20061204
  ・「どうゾ、よろしくお願いします」
  ・「どうカ、よろしくお願いします」

今回は、呼びかけの種類から考えてみた。日本語では三つをしばしば弁別する。
   ・よく知っている人、固有名詞(オトーチャンなども含む)で呼べる人
   ・生業上、過去にも付き合いがあって、大事なにしなくてはならない人。
   ・一見、あるいは見ず知らずだけど、その瞬間には用事のある人


これを、仮に以下の三つの呼びかけで記号化してみる。
   ・父上
   ・お客様
   ・そこのお人
      次に、サバイバル日本語という観点から、最も大事な文句を取り出すと以下の二句となるはずである。そしてこの二句に限定して考えるならば、〈どうか、どうぞ〉は以下の組み合わせが妥当であることは大方の賛同をえるはずである。
   ・どうぞ、よろしく お願いいたします。
   ・どうか、おゆるし ください。
次にそのような典型的な使用場面を想定すると〈父上〉が一番しっくりくる。他の二つの呼びかけに使えないとは言えないが、一番しっくりくるのは〈父上〉。
   ○父上、どうぞ、よろしく お願いいたします。
   ○父上、どうか、おゆるし ください。
それでは、他の二つの呼びかけに一番しっくりくる文句はどのようなものがあるだろうか。まずは、〈お客様〉。
   ・ありがとうございます。(交渉成立)
   ・あいすみませんでした。(交渉不成立)
ここでも、当然、呼びかけが必要なのだが、〈お客様〉という代名詞っぽい語は好まれずに、〈本日は〉などの時の限定詞が用いられるのが、一般的のように感じる。
   ○本日は、ありがとうございます。(交渉開始時)
   ○本日は、ありがとうございました。(交渉成立後)
   ○本日は、あいすみませんでした。(交渉不成立後)
ところが、時代劇などでは商人はよく「毎度ありー」などと言っている。これは特定の客というより、店の近在にいて客になってくれそうな人までを視野に入れた文句のようである。とすれば、よく聞く〈どうも〉という語は何らかの関連があるように思われる。
   ・まいど、ありがとうございます。(交渉開始時)
   ・まいど、ありがとうございました。(交渉成立後)
   ・まいど、あいすみませんでした。(交渉不成立後)
しかし、この場合、過去形はなじまない。繰り返しであるから、現在形が適当である。
   ◎まいど、ありがとうございます。(取引への感謝)
   ○まいど、すみません。(来店へのねぎらい)
さて、では〈まいど〉と〈どうも〉は関連があるのであろうか。あるとすればどのような関連なのだろうか。ここで思い出したのが〈それは、それは〉〈これは、これは〉などの重畳語彙。http://d.hatena.ne.jp/midoka1/20071010
    学校などなかった時代に手代などに正しい発語教育を施すには、こういう便法が重宝されていたとすれば語源を推定していく時に、これをミッシング・リングとして仮構することは突飛過ぎないであろう。さらにむき出しの単語もなじまないとすれば、この事例では〈も〉が挿入されたと仮構することは合理的である。
   ・まいどまいど、ありがとうございます。
   ・まいどもまいども、ありがとうございます。
   ◎まいどもまいど、本当にありがとうございます。
さらに語末〈だ〉から接続詞の語頭〈だ〉がしばしば派生している事実を考えると、ここから〈どーも〉を派生させるのも有りのように感じる。
   ○どーも、ありがとうございます。
   ○どーも、ありがとうございました。

   以上で、〈どうぞ・どうか・どうも〉についての考察は一段落なのであるが、ついでに〈そこのお人〉のついても考察しておこう。当然、フンボルトも言っているように〈そ〉は身分の高い人から低い人への呼びかけが深層にあるから、直接は使えない。それでも村落社会では見知らぬ人はほとんど存在しなかったから不都合はなかったはずである。だが現在の日本では見知らぬ人ばかりなのだから、必要が出てきて、まず使われたのが「ごめんください」であったようだが、半分死語化して、現在は「すみません」がかけ言葉として繁茂している。名詞文ならばよく使われる文句は二つ。
   ・すみません、〜いいですか。
   ・すみません、〜お願いします。
    動詞が使えるならばさらにもう一つ。だが、これの発語が日本で暮らす上で、必須かというと、疑問符がつく。その理由についてはおいおい考察していく。
   ・すみません、〜してください。
「ごめんください」が使われなくなった理由の一つは、これが「ごめください。おゆるしください。」という文句として慣用化してしまったので、非常に深刻な状況が喚起されるからであろう。私の子供時分には「お許しください」が日常では死語になっって「ごめんなさい」「ごめんね」が繁茂していた。それでも訪問するときの呼びかけとして「ごめんください」が、しばらくは機能していたのであろう。