音幻 〈visit/vision/video〉
前回とりあげた〈VIDI→見た〉という翻訳になぜ違和感を覚えたのかが、ようやくわかってきた。
ジーニアス英和では〈vision→視力、視覚〉とあり、ご丁寧にも〈eyesight〉との説明が出てくる。そして〈visit→訪問する、たずねる〉とある。だがこちらには〈call in 、略式では drop in も〉とある。
とすれば現代日本語では死語同然ではあるが〈おとずれる〉という語が原義に近いのである。「HALLOWEEN;ホネとミと」でも考察しておいたが、現代日本語のあまりに視力専権帝国のありように疑問を持つ習慣を持っていく必要がある。http://d.hatena.ne.jp/midoka1/20071030
そうでないと自然科学も歴史学もベルグソンもわからない若い人々を作り出していくことになる。
ではとりあえずの締として訳語案を記しておこう。
[VENI] | [VIDI] | [VICI] |
[やってきた] | [にらんだ] | [けちらした] |
50音図に洗脳され切っていると、上の組語の中に韻を認めるのは難しいかもしれないが、〈エ段→牙音〉というイメージは無茶苦茶というわけではない。〈や〉〈に〉ともに奥歯をかみしめないで緊張させているからこれも〈牙音〉に近いのである。
■(08.0531)補足
〈にらむ・にらみつける〉もありとなる。そうすると
〈みる・みつける・みはからう・みてとる・みつもる〉とは逆の関係になっているのは興味深い。
もっともさらに〈にらみをきかせる〉という慣用句を想起すると語のイメージがさらに膨らむ。
■と、考えを進めていくと音韻〈に〉は、五感すべてにかかわっていることがやっと想起される。すなわち、
〈にらむ・にぎやか・におう・にがい・にぎる⇔にがす〉
■では、〈似合う・見合う〉の関係は必然的なのだろうか。
■そらに〈煮える・食にえ・新にい〉との関係は?
■さらに、恐ろしいことに近所の西安料理店で、定食1番を注文したところ厨房に対して確かに〈ニーパン〉とウエイトレスが叫んでいたように聞こえた。教科書では広東語は〈イー・ニー・サン〉と続くようにあったが、もしかしたらもともとは〈1=ニー〉だったのかしら。そういえばテレビでは中国人は日本のことを〈イーパン〉と言ったり〈リーパン〉と言っているように聞こえる。語頭母音が後代のことだとすればもともとは〈ニーパン〉だった可能性も高くなる。