桜ちる このした風は さむからで 空にしられぬ 雪ぞふりける

  前回以下の記述をした。
>これだけで断言するのは危険かもしれないが、
>未然形の二大用法が「打消し」「使役命令」だとすれば以下の慣用句のなまった形と考えて
>助詞〈で〉に打ち消しの意味ではなく〈事態の推移〉の意味に統一した方がいいように思った。
>・作らんで
>・作らせて
   ここ数日で、『やまとうた:小松英雄』を読んでいったら、上記の歌が取り上げられていた。
   「深窓秘抄」には「さむから/で」と改行した例が載っていて、かなり広く行われていたらしいのを定家が、「5・7・5・7・7」通りに「さむからで」と改行正書すべきだと主張しているという。
   小松英雄は、この句にかんしては踏み込んだ解釈を載せていないが、意味上の違いは以下のようにまとめられる。
深窓秘抄; さむからん。そいで、   (現代日本語話者の直覚どおり、サムインダロウナ)
藤原定家; さむからで、        (学校古典のいうとおりサムクナイノニ)

   氏は「みそひともじ」の特徴を、「清濁をかきわけない」こととおいている。が、それでは「撥音」「促音」は当初からきちんと書き分けられていたのだろうか。途中から書き込まれることになったのだとしたら、その処理には議論沸騰、百出してもおかしくない。
いずれにせよ。この問題は氏が別のところで抽出してある以下のような対文全体の中での考察が必要だ。

・雨。だから暇。
・雨だから。暇。

cf. 雨だから暇。
cf. 雨で暇。
・雨。そいで暇。
・雨そいで。暇。(非文)
・雨。なので暇。
・雨なので。暇。