あをによし奈良の都は古りぬれどもとほととぎす鳴かずあらなくに

    「あめつち48音字」に一区切りが付いたので、ちょっと長めの論考を書き出しているのだが、ようやく万葉集にまで足をのばしてみる気になった。それで『四季の万葉集笠間書院』をてにとってみた。『草枕』の方法でぱらぱらとめくると「二通り解釈歌」として上記のものがp118にでてきた。
     著者の見解とは反対に「鳴かずあらくに」の方が、関東育ちの日本語話者にとっては理解しやすい。ただし、2つの前提をおくことになる。一つは、万葉集は厳密に「5・7・5・7・7」の定型詩ばかりを集めたのではなく、「みそひともじ」という規範だけを意識していた。もう一つは、家持は「戯れ歌・しゃれ歌」も結構好きだった。
  
別解; あをによし 奈良の都は 古りぬれどもと ほととぎす 鳴かずあらくに (31字)
解釈; 栄華のさかりだった奈良の都は古びているけレドモト、ほととぎすは鳴いテタンではないけレドモ、そうだト、私はいいたい。


逆語序
「あをによし 奈良の都は 古りぬれども」と ほととぎす 鳴かずあらくに (5・7・7・5・7)
ほととぎす 鳴かずあらくに。「あをによし 奈良の都は 古りぬれども」と (5・7・5・7・7)



■「大辞林」「広辞苑」とも、〈もとほとぎす〉をひくと、〈17巻3919〉と、上記歌の例しか載せていない。予断で辞書を作って、それによってさらに解釈が予断に縛られていくとしたら、家持の「遊び心」はどこかへ吹っ飛んでしまう。