文型「1000円からお預かりします」考

  少し前に上記文型がバッシングされて、現在コンビニでは黙って御札を受け取り、それをレジに張って精算をするというマニュアルが実施されている。私も違和感を感じた方だが、これが普及した理由については引っかかるものがあって気になっていた。少し前に以下の文型対を眺めていて一つの仮説が浮かんできた。

一足飛びに結論から言うと「から」は「が」の古形だということである。

   ・○○様ニ何度か話し合いの場をもつ御相談をさせていただいておりました
   ・○○様カラ何度か話し合いの場をもつ御相談をさせていただいておりました


   ・○○様ニ何度か話し合いの場をもつ御相談をいただいておりました
   ・○○様カラ何度か話し合いの場をもつ御相談をいただいておりました
   規範日本語を支えているのは動詞文よりは名詞文であり、他動詞文よりは自動詞文であるのは以前にも考証した以下の例からも明らかである。
・(生徒によって)先生が選b(ar)eる○○個別指導学院
・(生徒が)先生を選べる○○個別指導学院


・お母さんが(洗濯物を)干してある;沖縄方言
・お母さんが(洗濯物を)干しておいてある;標準語

   とすれば、問題の文型をいったん名詞文に変形して考察するという手続きがあってもいい。
A; 1000円は預かりものである
B; 預かりものは1000円である
  当然、コンビニの文脈ではBの文型を使わなければならない。とすれば大野晋逆語序則からいうと慣用形は以下のCであるべきとなる。
C;1000円が預かりものである。
    だが陳述文型の闊歩する現代日本では主格主語でないのに助詞<が>を使うのは違和感があるし、文末が動詞文型になっているので<を>を使うのが現代の規範からは妥当である。が、後ろに「お預かりします」が来るので「をお」続きになって耳映えしない。とすれば助詞抜き文がもっとも合理的だがマニュアルに「助詞抜き文」を書き込むのもためらわれたというのも明治時代いらいの国語教育の成果として喜ぶべき合理的心情である。
C−2;1000円をお預かりします。
C−3;1000円、お預かりします。


   それでは何故、そこから一足飛びになぜ「から」が選びとられ、それが違和感なくある大きさの集団に支持されたのであろうか。そのことにヒントを与えるのは職場でカラオケにいった場面である。上司が「おい、だれか歌えよ」といったら、上がる応答は以下のようなものであろう。どれがもっとも頻度が高いだろうか。
◎私から歌います
○私が歌います
・私は歌います
・私も歌います
・私こそ歌います
・私で歌います
・私に歌います
・私を歌います
  しかも「から」は「ともがら」「はらから」「くにがら」「やがら」「すいがら」「貝殻」など、用言を受けて名詞化する機能も持っているのであるから、以下のような機能を持たせた結果について、膠着-脱落語である現代日本語においては、非文と断定する積極的理由はないのである。
・1000円のお札→1000円の金→1000円の貝殻→1000円から


さにいうと、〈は・が〉対のつかわれる頻度を考えると歴史的には集合論よりは序列化された人や物を二分するためにつかわれた方が圧倒的に多かったはずである。例文は以下。
・ここから上級品
・ここが分節点


さらに「たから」「ちから」という基礎重要語の語構成も検討する必要がある